宇宙理論シリーズ5 数学者が挑む、「宇宙の形」についての探求の歴史

私たちは普段、宇宙を「ただ広がっている巨大な空間」としてなんとなく思い描いています。地図を広げるように、真っ平らで、どこまで歩いても同じように伸びていく三次元のステージ。その上に星や銀河が散らばっている、そんなイメージです。

しかし、人類の歴史を振り返ってみると、この「平坦宇宙」という直感は意外なほど最近の発明にすぎません。そして、数学や物理学の進歩は、この直感を容赦なく壊し続けてきました。

今回の記事では、「宇宙はどんな“形”をしているのか?」という、人類がずっと抱えてきた問題の変遷を見ていきます。

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古代の想像力が描いた神話的宇宙から、ガリレオのユークリッド時空へ

古代や中世の世界では、宇宙は今とは全く違う形で捉えられていました。古代インドでは須弥山を中心に世界が同心円状に広がるとされ、中国には「蓋天説」と呼ばれる、地面の上に巨大なお椀がかぶさった構造の宇宙観がありました。北欧神話では世界樹ユグドラシルが九つの世界を貫いており、アラビア世界でも天球の形について哲学的議論が続いていました。ちなみに現代でも、地球は実は平面である「フラット・アース説」を真剣に唱える人々が存在しますね。数学や物理によるモデル化が行われるよりずっと前から、人類は宇宙の形を想像し続けてきたということです。

ところがガリレオとニュートンの時代になると、宇宙は急速に“数学化”されていきます。空間はまっすぐで、時間はどこでも同じ速さで流れ、座標を取れば宇宙全体を記述できるという考えが広まりました。これを古代ギリシアの哲学者エウクレイデスにならって「ユークリッド的な宇宙観」と呼びますが、私たちの「宇宙地図」の原型はこの時代に固まりました。ただし、この“平坦宇宙”のイメージは、後から見れば単なる仮説にすぎず、「宇宙がまっすぐである」ことは批判的考察の対象ではありませんでした。

リーマンが世界をひっくり返す──“曲がった宇宙”の誕生

19世紀、リーマンが「空間とは何か」という講演で、宇宙論の考え方を一変させます。空間の曲がり方は空間の内部で決まり、外側に“本当の三次元空間”を仮定する必要はないという主張でした。ガウスやロバチェフスキーは既にこの「非ユークリッド幾何学」の萌芽に気づいていましたが、宗教的・社会的な反発を恐れて発表を控えていたと言われています。リーマンはこれを正面から理論化し、後にアインシュタインが一般相対性理論を構築する際の数学的基盤を作りました。アインシュタインが重力が時空の曲がりとして説明したことで、宇宙の形は本格的に“数学のテーマ”となっていきます。

20世紀に入ると、数学の分野としてトポロジー(位相幾何学)が加わり、宇宙の形の可能性はさらに広がります。球、ドーナツ型、モビウス帯、クラインの壺、三次元トーラス、四次元空間に存在しうる非直感的な形まで、無数の候補が真面目に論じられるようになります。宇宙が「有限だが境界がない」「裏返しても元に戻る」「内側と外側の区別がない」ような構造を持つ可能性も数学的には排除されません。宇宙の“形”の候補は、私たちの直感を大きく超えるレベルまで多様化しました。“実際に宇宙の候補になるわけではない”ものの、「空間」の概念を根本から揺さぶる数学的構造も登場します。アレクサンドロフ空間のように、曲率を一般化する代わりに滑らかさを捨てた空間や、ワイルド多様体のように局所構造が極端に複雑になった「野生化した三次元空間」がその例です。これらは宇宙モデルとして採用されているわけではありませんが、「空間とは滑らかなものである」という一般相対性理論の前提が、数学的には決して必然ではないことを示しています。

つまり、物理学が依拠している“なめらかな多様体としての時空”という前提自体、実は数学的には相当に特殊な条件のもとに成り立っているのです。トポロジーと幾何学が広げた空間概念の全体を見渡すと、私たちが宇宙と呼んでいるものが、ひょっとしたらこの広大な可能性空間のごく一部にすぎないのではないか、と感じさせられます。

現代宇宙論:私たちの宇宙は曲がっているのか?

現代宇宙論では、フリードマン方程式と観測データを使って宇宙の曲率を求めています。現時点での結論は「宇宙はほぼ平坦に見える」というものですが、“ほぼ”が重要な点で、完全に平坦なのか、極めてわずかに曲がっているのかは決着していません。正の曲率(球面)、負の曲率(双曲面)、平坦の3つが理論的な可能性ですが、「宇宙がちょうど平坦に見えるのは異常な偶然ではないか」という議論(アントロピー問題)も存在します。もしマルチバースが存在するなら、宇宙ごとに形が異なる可能性もあり、宇宙の形は理論的に“無限通り”になりえます。

ここで一度、私たちが宇宙をどう思い描いているかを見直す必要があります。私たちの宇宙イメージは文化的・技術的な産物です。近代ヨーロッパの測量技術は、平面上での計算を前提としていたため、“平坦な空間”の直感が強まりました。たとえば地図で使われてきたメルカトル図法は、航海には便利ですが、面積を極端にゆがめます。グリーンランドがアフリカと同じくらいに見えるあの地図です。本来の世界とは違う形が、何世紀も「正しい世界地図」として刷り込まれてきました。

現代の3Dグラフィックスもユークリッド空間を基本にしているため、私たちの「宇宙の見え方」もそれに引きずられています。「空間が膨張する」という表現も比喩にすぎず、実際には“距離の測り方(メトリック)が変化している”だけです。つまり、私たちの宇宙地図はそもそも誤解を含むものなのかもしれません。

宇宙の形は「美学」の問題でもあった

物理学者たちはしばしば、「美しい方程式は正しい」と考えてきました。ディラックは美を基準に理論を評価し、アインシュタインも宇宙は単純であるべきだと信じていました。宇宙の形は、数学や観測だけでなく、研究者の美学によっても選ばれてきたと言えます。この構造は、神話や宗教における“世界の形”の決定とも似ています。

人類は古くから宇宙の形を描いてきましたが、どれも宇宙の本質の一側面にすぎません。私たちが平面の地図のように宇宙を描くとき、その枠組み自体が誤っている可能性もあります。数学と物理学の進歩によって宇宙像がどう変わり、それに伴って私たちの「世界の見え方」がどう変わるのか──そこにこのテーマの面白さがあります。

いかがでしたでしょうか。

宇宙の「形」をめぐる議論は、単なる科学トピックではありません。そこには、人類が世界をどう理解し、どう説明しようとしてきたかという歴史がそのまま刻まれています。

重要なのは、宇宙とは何か? 空間とは何か?という根本的な問いが、時代ごとの数学・技術・文化の影響を受けて揺れ続けているという点です。私たちが当然だと思っている「広くてまっすぐな宇宙」は、歴史的にはごく最近のモデルにすぎず、今後また別の形に置き換わっていく可能性があります。

宇宙の形を考えることは、結局のところ、人間の認識の限界そのものを考えることにつながります。観測技術が進めば宇宙像も変わり、数学が発展すれば空間概念も揺れ、文化が変われば「美しい宇宙」の理想も変わります。そうした変化の積み重ねこそが、宇宙を理解しようとする人類の営みそのものです。


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