宇宙映画の女性ヒーロー:新たなヒロイン像はどのように確立されたのか?

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イントロ 宇宙SFの中の「女性」像

SF映画の醍醐味といえば銀河規模の冒険や未知との遭遇ですが、その中で「女性ヒーローがどう描かれてきたか」という点は注目に値します。

そもそもSFというジャンルは、作家たちが壮大な世界設定やテクノロジーに情熱を注ぎ込むあまり、キャラクターの描写、特に女性キャラの描写が平板になりやすい傾向がありました。女性が“人”というより“設定の付属物”として扱われ、ステレオタイプのまま宇宙に放り込まれることも珍しくなかったのです。

しかし、社会の変化や女性作家・女性映画人の台頭とともに、この状況は徐々に変わっていきます。SF映画の中でも女性ヒーロー像が更新され、ステレオタイプから抜け出し、多面的で主体的な存在へとシフトしていきました。

今回は、そんな映画史・社会史・SF史を横断しながら、宇宙映画がどのように女性ヒーロー像を作り変えてきたのか、その進化の道のりをざっくりたどってみたいと思います。

男性の眼差しに捉えられた女性のステレオタイプを意図的に詰め込んだ『バーバレラ』

20世紀初頭から1960年代まで、SF映画もSF業界も圧倒的に“男性中心”でした。SF作家も編集者も映画監督もほとんどが男性で、女性キャラは「単なるお飾り」か「男性ヒーローによって救われる対象」として配置されがちでした。政治の世界も似たようなもので、女性が意思決定の場に入り込める余地はほとんどありませんでした。ちなみに当時の米国では女性議員比率が5%以下、日本ではゼロに近い時代です。

そんな文脈で登場するのが1968年公開のフランス=イタリア合作のSF映画『バーバレラ』です。ジャン=クロード・フォレによるB級バンド・デシネに基づく本作品の中で、ジェーン・フォンダ演じる宇宙ヒロインは一見すると典型的な男性視線の産物で、「宇宙に行くセクシーな女の子」という記号に見えます。ただ、ここが少しややこしいところで、ヴァディムの『バーバレラ』は、単なるB級エロSFというより、「真面目さ」や「重厚なSF」そのものを軽々とスルーしてしまう、かなり自覚的なキッチュ作品でもあります。同じ1968年公開の『2001年宇宙の旅』が、人類の進化と宇宙の意味をガチで語る“ハードSF”だとしたら、『バーバレラ』はその真逆で、世界全体が深刻な顔をした政治かたちによる闘争に巻き込まれる風潮の中で、「SFのお題目を借りて、ラブ&ピースで現実の重みから逃走する」側に振り切っているのです。

つまり『バーバレラ』のバカバカしさやお色気は、「どうでもいい軽い作品」だからではなく、「重さや深刻さと対決しない」という思想を、あえておバカな形で体現しているとも読めます。とはいえ、その遊び場の中で女性はまだ“主体”というより、“幸福な痴呆的世界を転がしていくアイコン”にとどまっていて、女性が自分の意志で物語を動かすという意味でのヒロイン像には、まだ到達していなかったと言えると思います。

女性キャラが男性的恐怖に対抗して生き抜くサバイバーとなった『エイリアン』

第二波フェミニズムが社会を揺らし始め、女性の労働参加率が上がり、政治の場にもようやく女性が入り始める──1970年代後半は、社会の“ジェンダーの前提”が静かに書き換えられた時期です。この変化はまっすぐSF映画にも飛び火しました。

象徴的なのが『エイリアン』のリプリーです。性的誇張をすべて剥ぎ取った、ジェンダー中立的なサバイバー。性別は「設定」ではなく「背景」に退き、能力・胆力・合理性がキャラクターの本体になる。ここに初めて、“女性を役割ではなく主体として描く宇宙映画”が成立します。

ただ、ここで重要なのが、エイリアンそのものが持つ神話的イメージとの組み合わせです。HRギーガーのデザインしたエイリアンは、頭部形状がほとんど“男性器を抽象化した存在”ですし、寄生・侵入・出産というテーマが全体を貫いています。エイリアンという存在そのものが、「男性的恐怖」「性への不安」「侵入される身体」というイメージの象徴になっているという見方も可能なのです。

だからこそリプリーが“女性”であることには、映画的な必然が生じます。男性的象徴としてのモンスターに対し、それを乗り越える主体が女性であるという配置は、神話構造的にも極めて強固なドラマを生むのです。リプリーはここで「女性であるからこそ成立する抵抗と超克の象徴」となったのです。

同時期、文学SFでも女性作家が一気に頭角を現します。アーシュラ・K・ル=グウィンが性や家族の概念に切り込んだ作品を次々と発表し、オクタヴィア・E・バトラーが身体性と権力の問題を突き刺し、ジョアンナ・ラスが「女性がヒーローになる条件そのもの」を問い直していった時代でした。

映画と文学の両方で、“女性が主体になるSF”が静かに、しかし確実に始まったのがこの時期です。そして『エイリアン』はその象徴として、「女性ヒーロー誕生の物語」を神話的レベルで描き切った作品だったわけです。

女性科学者が人類の代表として選ばれた『コンタクト』

1990〜2000年代。女性の大学進学率が上昇し、科学・医学・研究の世界に女性が本格的に入っていった時代に、映画のヒロイン像も静かに変わり始めます。“女性=感情的”というステレオタイプが揺らぎ、専門性を持つ主体として描かれるようになっていくのです。

その象徴が『コンタクト』のエリー・アロウェイです。彼女が代表しているのは「勇敢な女性」ではなく、「科学者として宇宙と対話する女性」という、当時としてはあまりに斬新な女性主人公でした。

重要なのは、なぜエリーが“女性”でなければならなかったのかという点です。『コンタクト』では、地球外知性との接触に際して、国家や軍ではなく、一人の科学者——しかも女性——が人類の代表として最前線に立つ構造が選ばれています。これは、冷戦型・軍事型のSFを横目に、原作者のカール・セーガンが「人類代表として語るべきは、力ではなく知性であり、主導役は必ずしも男性である必要はない」というメッセージを込めた結果です。彼は晩年の講演で、女性科学者の比率の少なさを批判しつつ、生命や宇宙と向き合うときには、男性中心の攻撃的・征服的なメタファーとは違う“別の視点”が必要だと語っています。

実際、劇中で国際政治が混乱し、軍部が疑心暗鬼に陥るなか、エリーだけは“未知を恐れず理解しようとする態度”を貫き通します。その姿は、当時の科学界で増えつつあった女性研究者の姿とも自然に重なっていきます。この作品の存在が、その後の“知性で宇宙と向き合う女性主人公”の系譜を切り開いたのは間違いありません。

女性が神話・政治・権力の中心に立つスペースオペラ映画

2010年代以降、現実世界では女性の政治参加が一気に加速します。アメリカでは女性議員が100名を超え、歴史上最大規模の「女性議会」が誕生し、日本でもジェンダー議論が本格的に社会テーマになりました。さらにハリウッドはMeToo運動で揺れ、“女性をどう描くのか”が避けて通れない問いになります。こうした社会変動がそのままSF映画にも流れ込み、女性ヒーロー像を根本からアップデートしていきます。

その象徴が、『スター・ウォーズ』続三部作の主人公レイです。レイが登場した2015年当時、ディズニーは「スター・ウォーズ神話をいかに21世紀化するか」という課題を抱えていました。そこで選択されたのが、“血筋の物語”からの脱却です。人類の物語の多くは「父から息子へ」という血統神話を基礎にしており、男性主人公を置くと観客の無意識が「継承劇」を期待してしまうのです。女性主人公は逆に、“血統から自由な存在”として扱いやすく、神話をリセットする象徴として機能します。つまり、女性を主人公にしたのはポリティカル・コレクトネスだけではなく、「神話の中心に女性を置くことで、スター・ウォーズそのものを再生させる」という明確な企画意図があったと言われています。つまりレイは、“女性だから新しい”のではなく、“女性であることで旧来の神話を壊せる”存在として選ばれたのです。

同じ時期の『キャプテン・マーベル』はさらに政治的です。主人公キャロルは記憶を奪われ、自己を回復し、支配構造に抗う——という物語を通して、女性が自分の「力」を再定義する過程そのものを描きます。公開後には「少女たちが自分をヒーローとして想像できるようになった最初の映画」として大きな社会的反響を呼び、実際にハロウィンのコスチュームランキングでは数年にわたりトップを維持しています。MCU全体にとっても、“女性の力の描き方”をアップデートせざるを得ない転換点になりました。

そしてトドメに、『DUNE/デューン』が登場します。デューン世界では、ジェシカ夫人やチャニといった女性キャラたちが宗教・政治・遺伝操作といった“宇宙構造の根幹”に位置づけられており、“宇宙の運命を動かす女性”という描写が当たり前になります。なお、本作の主役ポールを演じるティモシー・シャラメ、チャニ役のゼンデイヤの二人は、Z世代が好む“ジェンダー境界の薄いスター像”の代表格です。中性的な魅力、男女どちらにも回収されない雰囲気、SNS時代のファッション感覚——こういう要素が若い世代の価値観に刺さり、宇宙SFのヒーロー像にも自然にフィードバックされています。つまり、スクリーン上だけでなく、俳優選択そのものが「ジェンダーの再発明」を体現しているのです。

こうして見ると、2010年代以降の宇宙映画は、女性ヒーローが「神話を更新する存在」から「政治を動かす存在」へと進化し、さらに俳優レベルで“新しいジェンダー性”を提示するフェーズに入っています。女性の政治参加、社会的エンパワメント、ハリウッドの価値観変化、スター文化の変容がすべて重なり合い、宇宙映画の女性像はかつてないスピードで変わり続けているのです。

宇宙映画は女性像の未来を描く

振り返ると、この50年で女性ヒーロー像は、「男性によって救われるヒロイン」から「自らの力で生存する主役」へ、そして「人類を代表してエイリアンと接触する科学者」、さらには「宇宙政治を動かす決定者」へと劇的に進化してきました。

その背後には、女性の社会進出や教育水準の上昇、政治参加の拡大、SF業界での女性クリエイターの増加、そして文化全体のジェンダー意識の変化があります。宇宙映画は、しばしば現実の社会変化よりも一歩先の女性像を描いてきたジャンルでもありました。

これから先は、AIヒロインや多様な身体性を持つ主人公、さらにはジェンダーそのものの概念を揺さぶるようなキャラクターが登場してくるでしょう。宇宙は物語の可能性を開く場であると同時に、私たちが「人間」をどう定義し直すかを先取りして見せてくれる場所です。そして、その最前線に立つのは、これからもきっと女性ヒーローなのかもしれません。

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