宇宙理論シリーズ3 ダークマターと隠された秩序、そしてパースの宇宙進化論へ
「ダークマター」は現代に復活した「エーテル」か?
最近では、中世末期を舞台に、地動説の証明に命を捧げた男たちの生き様を描く『チ。-地球の運動について-』という漫画が話題になっています。漫画の中で描かれる通り、中世を生きていた人々が思い描いていた天動説の宇宙像は、今の時代から見ると驚くほど「人間中心主義」で「時代遅れ」に見えます。しかし、それと同時に、私たちが今描いている「最先端の宇宙像」というものもまた、数百年後の未来を生きる人々から見たら同じように古臭く見えるだろう、という視点も忘れてはいけないでしょう。
それを考えさせる一つの例が、「ダークマター」という謎にあります。現代物理学は、20世紀のアインシュタインによる科学革命によって飛躍的発展を遂げたにもかかわらず、宇宙の約7割を占める「ダークエネルギー」と、約25%を占める「ダークマター」という謎に直面して答えが出ていない状態です。ダークマターは、見方を変えれば、古代ギリシアにおいてアリストテレスが仮定した「目に見えず、宇宙を満たし、天体の運動を可能にする透明な物質」という意味での「エーテル」の再来とも言えるでしょう。しかし、ダークマターがいかに謎に満ちているとはいえ、アインシュタイン以降も発展を続けてきた相対論的重力理論の力と、圧倒的な計算を可能にするコンピュータシミュレーションの力によって、私たちはかつてないほどの解像度でその正体に迫ることができます。
目に見えない「隠れた秩序」の探求から要請された「ダークマター」
ダークマターの存在が最初に提案されたのは、1933年のことでした。スイス人の天文学者、フリッツ・ツビッキーが、「目に見える物質の質量だけでは、銀河がばらばらになってしまう」ことに気付いたのです。そこから、不可視の質量を導入する必要が生じ、「ダークマター」概念が提唱されました。
1970年代から1980年代にかけて、アメリカの天文学者ヴェラ・ルービンたちによって、「銀河の回転速度」という問題が浮上します。ニュートンの物理学に基づくと、質量の重い銀河の中心の方が銀河の周縁部よりも速い速度で回転するはずなのにもかかわらず、実際の観測結果は、中心と周縁で回転速度がほぼ変わりませんでした。この事実を受けて、ルービンらは「銀河系の周縁にいくにつれて不可視のダークマターが分布しており、それは銀河系全体の星や星間物質の10倍程度の質量を持っている」という仮説を立てました。また、同時期に「銀河団の「重力レンズ効果」を考えると、どうもダークマターのような不可視の質量が存在しないと辻褄が合わない」という観測結果が浮上し、ダークマターはいよいよ存在感を増していくことになります。
これらの一連の発見は、銀河の分布を大規模にマッピングすることで、宇宙に巨大なフィラメント状の構造やボイドが存在することが明らかになっていく流れの中で行われました。つまり、「宇宙の大規模構造」という見えない秩序の探求が、「ダークマター」という不可視の物質を要請したのです。
それと軌を一にするように、同時代にクロード・レヴィ=ストロースの文化人類学、ミシェル・フーコーやジャック・ラカンの思想、ケネス・ウォルツによる構造主義リアリズム(ネオリアリズムとも呼ばれる)などをはじめとした人文学においても「構造主義」が盛り上がったのは面白い偶然と言えるでしょう。構造主義の特徴は、「個別の要素(言葉、文化的実践)は、それが属する構造全体によって意味づけられる」とする点にあり、目に見えない無意識の「数学的な構造」、あるいは「隠された秩序」が、目に見える現実を形作っているという前提に立ちます。これらの構造主義は、「ポスト構造主義」「ポストモダン」に引き継がれ、やがて情報科学の進展によって哲学のあり方そのものが流動化していくようになります。
「構造主義」から「シミュレーション仮説」へ
やがて、宇宙の大規模構造の探求は、勃興するコンピューターテクノロジーによる「宇宙シミュレーション」へと引き継がれていくことになります。宇宙シミュレーションにおいては、初期宇宙の揺らぎからダークマターがいかにクラスターを形成して銀河を形作っていくのかが焦点になります。それまでは方程式に基づいて手動で解を導き出すのが主流だった物理学の世界に、コンピュータという圧倒的な計算力を持つ道具が導入されることによって、方程式によっては捉えきれない宇宙のダイナミクスが再現できるようになったのは大きな革新でした。
1999年に公開された映画『マトリックス』に象徴されるように、1990年代から2000年代初頭に至るまでは、「コンピュータシミュレーション」というものが巨大なインパクトを持った時代だと言えるでしょう。哲学界でも、スウェーデンの哲学者ニック・ボストロムが「この宇宙は一つの巨大なシミュレーションである」とする「シミュレーション仮説」を2002年に提唱し、イーロン・マスクをはじめとする著名人の支持もあって一気に脚光を浴びるようになります。
現代において再注目される、哲学者パースの宇宙論
さて、このような「シミュレーション仮説」全盛の時代にあって、再注目されている哲学者がいます。それは、「アブダクション」と呼ばれる独自の仮説形成の理論で有名なアメリカの哲学者、チャールズ・サンダース・パースです。20世紀前半にプラグマティズムの中心人物として活躍し、論理学的・数学的探究と詩的・宗教的想像力を融合させたパースの独自の思想は、現代の量子論的・マルチバース的宇宙像の先駆であるとも言われています。また、彼が唱えた「記号過程」と呼ばれる独自の存在論は、「シミュレーション」的過程によって存在が生成されるという現代情報科学とも非常に相性が良く、認知科学や人工知能研究にも応用されています。
なお、パースが生まれた時代背景は、ちょうどアインシュタインの登場や相対性理論の誕生とかぶっており、科学革命の影響を受けた理系的直感に加えて、エマソンやジェイムズ父子といった同時代の神秘思想家の影響も受けている点が特徴的です。
さて、パースは宇宙の進化を構成する要素として「第一性」「第二性」「第三性」の三つの要素を提唱しました。「第一性」とは、絶対的偶然であり、規則を欠いた混沌状態を指します。「第二性」とは、宇宙全体をつなぎ進化させる原理を意味します。そして、「第三性」とは、その両者を媒介し、「習慣」や「法則」を形成する作用を意味します。根本的な偶然から生まれた宇宙が、宇宙を進化させる愛の力に貫かれながら、習慣の力によって徐々に完成へと突き進んでいく、これがパースの唱えた宇宙進化論でした。
詩的な言語に彩られ、論理的理解を拒絶するかに見えるパースの宇宙論は、奇妙なくらい現在のダークマター・シミュレーション研究と一致するようにも見えます。原初の偶然の「揺らぎ」から生じたダークマターの不均一な分布が、時間の経過とともに宇宙の大規模構造を形成し、やがて銀河を生み出し、星を生み出し、生命を生み出していく過程。パースが生きていた時代に、これらは全て未知の領域だったことを思うと、その描写の類似性には驚かされます。
これからの宇宙像はどうなる?
ここまで見てきたように、宇宙論の探求は、必ずしも物理学の世界に閉じたものではなく、同時代に展開している様々な思想的影響を無意識に受けて展開してきました。と同時に、宇宙のあり方の探求は、我々人間存在のあり方の逆照射でもあります。「私たちは何者で、私たちは今どこにいるのか」、これら二つの問いは「コスモロジー」と呼ばれる根本的な世界観を構成します。1990年代以降の現代の情報科学の展開は、スーパーコンピュータによる宇宙草創期のシミュレーションと、人工知能による人間の存在のあり方の探求を同時に進めていくことで、情報世界のコスモロジーを構築してきました。しかしこれらはいずれも、「宇宙進化論」と「記号過程」の思想を統一的に描写していたチャールズ・パースの思想の射程にある世界だと言えます。これからの人類のコスモロジーがどうなっていくのか、その秘密もまた、パースは握っているのかもしれません。
いかがでしたでしょうか。次回の記事では、シミュレーション仮説についてもっと深掘りした内容を元に、この宇宙が一つの巨大なシミュレーションである可能性について考えていきます。お楽しみに!