宇宙漫画シリーズ5 宇宙人、宇宙食、宇宙萌え? ちょっと変わった国内外の宇宙漫画・アニメ特集

前回の記事では、壮大で哲学的な宇宙漫画を通して、戦後から1980年代にかけて日本人が描いてきた「宇宙観」をたどってきました。
でも、宇宙漫画の魅力はそれだけではありません。「宇宙」と聞くと、ついNASAの宇宙飛行士や遠い銀河の星々を思い浮かべてしまいますが、漫画の世界ではもっと自由で、ときにおかしく、カオスで、だけどなぜか愛おしい宇宙が描かれているのです。
今回はそんな「ちょっと変わった宇宙漫画」にフォーカス。バカバカしくて、カワイくて、でもどこかリアルな「宇宙のもうひとつの顔」をのぞいてみましょう。

宇宙人と暮らす、働く、恋をする?
宇宙といえば、かつては遠く手の届かない「未来」や「戦場」の象徴でした。しかし時代が進むにつれ、宇宙は少しずつ身近な存在へと変化していきます。「地球を救うヒーロー」ではなく、「隣に住んでいる変なやつ」や「職場に配属された同僚」「ちょっと気になるクラスメイト」、そんなかたちで、宇宙人や宇宙そのものが、日常の風景に溶け込むようになってきたのです。
本セクションでは、『うる星やつら』に始まるSFラブコメの伝統から、『トップをねらえ!』の熱血×宇宙スケール、『宙のまにまに』の青春×天文学、そして新鋭『プラネットガール』まで、宇宙を舞台に「暮らし、働き、恋をする」人々の姿を描いた作品を紹介します。宇宙はもはや特別な場所ではなく、私たちの生活や感情と地続きにあるものだと思えるような名作たちをご覧ください。

『うる星やつら』(高橋留美子):宇宙人との日常×ラブコメの金字塔
高橋留美子のデビュー作『うる星やつら』(1978〜1987年連載)は、押しかけ宇宙人のラムと、女好きの高校生・諸星あたるを中心に展開する、ドタバタSFラブコメの金字塔です。地球侵略にやって来た鬼族の娘・ラムが、誤解からあたるの「許嫁」になってしまう、という奇想天外な設定を起点に、宇宙人、妖怪、未来人まで登場するトンデモ学園生活が展開されていきます。この作品のユニークさは、すべてのキャラクターがトガりまくっているにも関わらず、誰ひとりとして否定されない点にあります。空気が読めなくても良い、自己中心的でも良い、そんな個性を愛おしむ視線がこの作品を貫いているのです。
SFでありながらも、どこか人間くさい感情のぶつかり合いや共存が描かれる『うる星やつら』は、「宇宙を舞台にした群像劇」として、今なお多くの読者に愛される名作です。ちょっと変わった宇宙漫画を楽しみたい方には、ぜひおすすめしたい一作です。

『トップをねらえ!』:スポ根×宇宙×美少女兵器の異色のコンビネーション
庵野秀明監督の商業デビュー作として知られる『トップをねらえ!』は、美少女、巨大ロボット、そして熱血スポ根要素が見事に融合した、1980年代OVA文化の結晶のような作品です。『エースをねらえ!』と『トップガン』を掛け合わせたタイトルの通り、本作は青春ドラマとSFの要素を自在にミックスしながら、主人公ノリコの成長物語を壮大な宇宙スケールで描いています。劇中では「ウラシマ効果」を用いた時間のズレや、宇宙放射線病など硬派なSF設定も丁寧に扱われており、ギャグやパロディの中にもしっかりとした世界観が築かれています。庵野監督ならではの緻密な演出と引用の妙が光る本作は、32年を経た今も色あせることなく、むしろ現代のアニメファンにこそ再発見されるべき一本です。

『宙のまにまに』:天文部を舞台にした青春ドラマ
『宙のまにまに』(柏原麻実)は、天文部を舞台に繰り広げられる学園青春「天文」ラブコメの名作です。2005年から2011年まで『月刊アフタヌーン』(講談社)で連載され、2009年にはTVアニメ化も果たした本作は、読書好きの内向的な少年・大八木朔と、破天荒なアウトドア少女・明野美星を中心に、天体観測を通じて人間関係と青春のきらめきを描いています。特徴的なのは、ラブコメとしての軽妙さに加え、実際の天文知識や観望の魅力が丁寧に盛り込まれている点。作者自身の星への愛情がにじみ出る描写の数々は、読者にとって星空を身近に感じさせてくれます。ラブコメでありながら、天文学の入門書的役割も果たしており、「こんな高校生活が送れたら」と誰もが思わず憧れてしまう、優しさとリアリティに満ちた作品です。

『プラネットガール』:「SF史上最もかわいい宇宙人」が登場?
『プラネットガール』(大石日々)は、2024年5月に『月刊!スピリッツ』(小学館)で連載開始された注目の新作SF漫画です。物語の主人公は、人見知りながら宇宙船の性能については饒舌になる若き整備士・遠坂砂鉄。彼は幼い頃に行方不明となった父の事故の真相を追い続けていますが、ある日、父が乗っていた宇宙船の残骸と思しきデブリから、「ソラ」と名乗る謎の少女が現れます。宇宙からやってきたこの少女と、寡黙で不器用な青年の出会いが、惑星間をめぐる日常系SFアドベンチャーの幕開けとなります。
本作は、リアルな宇宙開発の知見に裏打ちされた描写と、懐かしさ漂う町工場の情景を融合させた独特の世界観が魅力で、宇宙人ソラちゃんの愛らしさには「SF史上最もかわいい宇宙人」との声も。人類の想像力と異星文明へのまなざしを内包しつつも、どこか素朴で温かな感触があり、グルーヴ感のある作風に心を掴まれる作品です。今後の展開に大いに期待が高まる、「次世代のSF日常漫画」の傑作候補です。

宇宙でごはん!? 宇宙×食の世界
宇宙と聞いてまず思い浮かぶのは、星々を巡る冒険や巨大ロボット、壮大な叙事詩かもしれません。けれども、人類が本気で宇宙を「暮らす場所」として考え始めたとき、避けて通れないテーマがひとつあります。それが、「ごはん、どうする?」という問いです。重力も火も水も自由に使えない宇宙空間で、私たちは何を、どうやって、そしてどんな思いで食べるのか? それは単なる生存の問題にとどまらず、技術、文化、経済、さらには「人間らしさ」そのものに関わる深いテーマでもあります。

『宇宙(そら)めし!』
『宇宙めし!』は、「宇宙×グルメ」というユニークなテーマで注目を集める日向なつおによる漫画作品です。JAXAや宇宙食メーカーへの綿密な取材をもとに、リアルで奥深い「宇宙食」の世界を描いており、実在企業とのコラボレーションも特徴のひとつです。物語は、宇宙食開発に挑む若き研究者たちを軸に、技術者や企業の思いを交えながら進行。JAXAの監修のもとで、からあげクンやカレー、アルファ米など、実際に宇宙に運ばれた食品の裏側が丁寧に描かれます。企業側も「宇宙食の取り組みを知ってほしい」という思いで好意的に取材に応じており、宇宙食開発が一種の“ブランド戦略”でもあることが作中にリアルに反映されています。SFのロマンと、地に足のついた食文化研究の間を行き来する本作は、単なる「食レポ漫画」にとどまらない、現代的な「宇宙開発の一側面」を描く意欲作です。

宇宙で泣ける!宇宙で繰り広げられるリアルなヒューマンドラマ
宇宙と聞くと、まず浮かぶのは壮大なスケールや科学的な未来像かもしれません。しかし、重力の外側で描かれるのは、決して「非日常」だけではありません。むしろ、過酷な環境だからこそ際立つのは、人と人との結びつき、孤独と向き合う時間、そして生きることそのものの意味です。宇宙は舞台であって、物語の主役はあくまで「人間」なのです。
ここでは、少年少女の絆と自己発見を描いた『彼方のアストラ』、そして高層宇宙アパートで交錯する人々の営みを描いた『土星マンション』の2作を取り上げます。いずれも、宇宙という極限の場所でこそ浮かび上がる、ささやかで力強い人間ドラマが詰まった作品です。涙腺を刺激しながら、読み終えたあとに少しだけ優しい気持ちになれる、そんな「泣ける宇宙」を、ぜひ味わってみてください。

『彼方のアストラ』:漂流しながら友情と宇宙人の謎に迫る青春群像劇
全5巻というコンパクトな尺の中で、驚きと感動の伏線回収を幾重にも仕掛けた傑作SFが篠原健太による『彼方のアストラ』です。宇宙旅行が日常となった未来、突如として銀河の果てに放り出された9人の少年少女たちが、帰還を目指して星々を巡る──その表向きは漂流サバイバル。しかし彼らの中に潜む“刺客”の存在、そして次第に明かされる自分たちの出自に物語はミステリーとしての緊張感を帯びていきます。殺意と希望が交錯する中でも、信頼と絆を築いていくキャプテン・カナタの存在が、読者の胸を打つ。「誰が敵か」よりも「誰と生きるか」を問う、友情と正義の星間叙事詩。読み終えた瞬間、あなたもきっと最初のページに戻ってしまうはずです。
『土星マンション』:宇宙アパートでの階層ヒューマンドラマ
岩岡ヒサエによる『土星マンション』(小学館)は、地球全体が自然保護区となった未来社会を舞台に、地上35,000メートル上空に浮かぶリング状の集合住宅で暮らす人々の姿を描いた全7巻完結のSFヒューマンドラマです。物語は、窓拭き職人として働き始めた14歳の少年ミツの成長を軸に展開し、建造物内部に存在する上層・中層・下層という厳然たる階層社会の中で、人々が誇りをもって生きる姿を丁寧に描き出します。特に、下層に生きる窓拭き職人たちが、地位や境遇に抗うのではなく、与えられた仕事に誠実に向き合い、上層の住人との静かな交流を通して社会の断絶を少しずつ越えていく描写は圧巻です。格差の現実と共存する優しさと尊厳を描ききった本作は、「上を向いて歩こう」の精神を静かに体現する傑作です。

宇宙は、真面目だけじゃもったいない
哲学や科学、戦争や未来といった重厚なテーマを背負う一方で、宇宙漫画はもっと自由で、もっと身近なものでもあります。恋をして、笑って、食べて、迷って、誰かと手をつないでまた歩き出す。そんな等身大の感情や日常が、重力の外側で鮮やかに描かれるからこそ、私たちは「宇宙」を自分ごととして感じることができるのかもしれません。