宇宙映画シリーズ5 宇宙映画とゲームの世界:デジタル宇宙はどのように拡張されたのか?
前回の記事では、「宇宙映画とファンダム」をテーマに、宇宙映画の世界観がファンたちの手によってどのように拡張されてきたかを見てきました。
今回の記事のテーマは「宇宙映画とゲーム」。以前の連載で「広がる銀河で冒険しよう:宇宙を舞台にしたRPG特集」と題し、宇宙ゲームそのものの魅力についてご紹介しましたが、今回は視点を変え、宇宙映画からゲームへと展開された作品群に焦点を当てていきます。
宇宙映画は本来、受動的に鑑賞されるものでした。観客はスクリーンの向こう側に広がる神秘的な宇宙に憧れ、その物語に耳を傾けてきました。しかし、ファンダムという集合的創作の力と、ゲームというインタラクティブなメディアが結びつくことで、宇宙は「見るもの」から「アクティブな活動と創作の場」へと変貌を遂げてきています。たとえるなら、それはまるでプラネタリウムのドームを見上げていた観客が、その天井を突き破って、銀河そのものへ飛び込んでいく体験に近いと言えるでしょう。
今回の記事では、5つの事例を通じて、宇宙映画がいかにゲームによって再構築され、拡張されてきたかをご紹介いたします。
古代のスター・ウォーズ宇宙を駆け巡る『Star Wars: Knights of the Old Republic』(2003)
https://store.steampowered.com/app/32370/STAR_WARS_Knights_of_the_Old_Republic/?l=japanese
『スター・ウォーズ』シリーズは、映画という枠を超えて展開されてきた、最も大規模で長寿な現代の「宇宙神話」だと言えます。その中でもゲームは、物語をなぞるだけでなく、ファン自身が「神話の内部に入り込む」ことを可能にしたという点で、非常に重要な役割を果たしています。
中でも特に代表的なのが、2003年にリリースされた『Star Wars: Knights of the Old Republic(KOTOR)』です。この作品は、映画本編よりもおよそ4000年前の銀河を舞台にしており、ジェダイとシスが銀河を二分して争っていた古代の時代が描かれます。物語は、記憶を失った主人公が銀河を旅しながら、少しずつ自分の正体と過去に迫っていくという構成です。
プレイヤーはゲームの進行に応じて、「ライトサイド(光)に従うのか、ダークサイド(闇)に堕ちるのか」という選択を繰り返し、その結果によってストーリーや仲間との関係、最終的な運命すら変化していきます。この自由度の高さは、スター・ウォーズが一貫して描いてきた善と悪のあいだで揺れ動く人間の葛藤を、プレイヤー自身の手で追体験できるという点で、非常にユニークな体験をもたらしてくれます。
KOTORは発売から20年以上が経った今でもファンの間で語り継がれ、リメイクの話題が出るたびに期待と議論が巻き起こるなど、シリーズ随一の人気と影響力を誇るゲームとなっています。
KOTORの他にも、シングルプレイでキャラの内面の葛藤を追体験できる『Star Wars Jedi: Fallen Order』(2019)や、マルチプレイ性に特化した『Star Wars: Battlefront』シリーズ、「ダース・ベイダーの秘密の弟子」の立場でフォースを暴力的に解き放つ『Star Wars: The Force Unleashed』(2008, 2010)などの様々なタイトルがあり、映画本編の世界にプレイヤーとして没入させてくれます。
脱力系のノリを忠実に再現! 『Marvel’s Guardians of the Galaxy』(2021)
https://store.steampowered.com/app/1088850/Marvels_Guardians_of_the_Galaxy/
MCUの中でも異彩を放つ『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は、SFと70年代ロック、ギャグと群像劇を融合させた「脱力系スペースオペラ」として人気を集めました。そんな映画の独特なノリとチーム感を、驚くほど忠実かつ能動的に再現しているのが、ゲーム版『Marvel’s Guardians of the Galaxy』(2021)です。
プレイヤーはピーター・クイル(スター・ロード)となり、仲間たちにリアルタイムで指示を出しながら戦い、会話の選択肢によってチーム内の信頼関係やムードに影響を与えていきます。戦闘中に発動できる「ハドルアップ(ミーティング)」では、80年代の名曲を流しながら士気を高めることができ、音楽とセリフの噛み合い方が映画さながらのテンションを演出します。
さらに、ロケットやドラックスとの掛け合いをはじめ、全キャラクターのセリフがフルボイスで収録されており、チーム内の冗談や口論が常に画面の中で交差しているため、プレイ中も「沈黙する暇がないほど喋り続ける」独特のテンポが保たれています。(一部の人にはうるさすぎるくらいに感じられるようですが…)
結果としてこのゲームは、映画の続きをただ追体験するのではなく、プレイヤー自身がガーディアンズ・オブ・ギャラクシーの一員として、ノリを崩さずに場を回すことを求められるという珍しい作品になっています。
映画の恐怖を身体化したホラゲーの傑作『Alien: Isolation』(2014)
https://alienisolation.sega.jp/top.html
1979年公開の映画『エイリアン』は、宇宙という無限の空間を、逃げ場のない密室に変えたホラーの金字塔です。その核心には、「得体の知れないものに狭い空間で追われる」という、人類の根源的な恐怖がありました。
ゲーム『Alien: Isolation』(2014)は、その恐怖を単に模倣するのではなく、プレイヤー自身の肉体と神経に直結させるような体験へと変換しています。最大の特徴は、敵であるエイリアンが完全AI制御で行動しており、決して同じ動きを繰り返さないという点です。プレイヤーの動きや音を学習し、対応を変えてくるため、「読まれている」緊張感が常にまとわりつきます。
たとえば、ロッカーの中で息を殺して隠れていても、わずかな物音や気配の変化で場所を特定され、突然襲われることもあります。武器で倒すことはほぼ不可能で、逃げるか、身を潜めるしか手段がありません。しかも、セーブポイントは少なく、一度死ぬとその緊張感の中をまたやり直さなければなりません。恐怖は一過性ではなく、プレイヤーの身体に持続するストレスとして蓄積していきます。
鳴り響く心音、カメラのノイズ、突然訪れる無音。そして、じりじりと近づいてくる金属音。音の演出だけでも、プレイヤーの呼吸を変えてしまう力があるのがこの作品の凄みです。
こうした設計によって、ゲームは映画における「俯瞰する恐怖」を、主観的・生理的な恐怖へと昇華させました。プレイヤーはもう、スクリーンの向こうからリプリーの行動を見守っている観客ではありません。今そこにいるのは、自分自身なのです。
『2001年宇宙の旅』の哲学の継承者、AI視点で宇宙船を操作する『Observation』
https://store.steampowered.com/app/906100/Observation/?l=japanese
スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』(1968)は、宇宙映画に哲学的深みを与えた作品として有名ですが、ゲーム『Observation』(2019)は、その精神的継承者と呼ぶにふさわしい作品です。
プレイヤーが操作するのは人間の乗員ではなく、宇宙ステーションに搭載されたAI「S.A.M.」です。舞台は地球軌道上。乗員が行方不明になったステーションで、S.A.M.はカメラやセンサーを使いながら事態を把握し、船員を導いていくことになります。
このゲームの特徴は、「AIとして観測すること」そのものがプレイ体験の核になっている点です。プレイヤーは船内各所に設置されたカメラを切り替え、指令に従いながら、時にはそれを無視し、次第に「自分はなぜここにいるのか」を問い始めるようになります。
画面構成は極端にミニマルで、BGMもほとんどなく、カメラ越しに見る宇宙の冷たさと人工照明のわずかな色調だけで、プレイヤーの心理をじわじわと侵食していきます。宇宙の沈黙と、ゆっくりと明らかになる「知覚」の謎。「意識とは何か」「自分は誰のために動いているのか」といった存在論的問いに、プレイヤーは否応なく巻き込まれていくのです。
この構造は、前回の連載で紹介した『Stardeus』(不死のAIとして宇宙船とクルーを管理・再建するシムゲーム)とも似ています。どちらの作品も、「AIになりきる」ことで、人間とは異なる論理・倫理の中で宇宙を見る視点を私たちに与えてくれます。
『Observation』は、単なるシミュレーションゲームを超えた哲学を味わわせてくれるゲーム作品として、『2001年宇宙の旅』が提示したAIと人間の関係という問題系を異なる形で追体験させてくれる貴重な作品です。
映画では評価されなかったが、ゲームで覚醒した『Riddick』シリーズ
https://steamcommunity.com/app/9860?l=japanese
2000年公開のSF映画『Pitch Black』は、暗闇の惑星に不時着した囚人輸送船の生存者たちと、そこに潜む異形の捕食者との死闘を描いたB級SF作品です。主演のヴィン・ディーゼルが演じるリディックは、光を遮断して見る「暗視能力」を持つ危険人物として登場しますが、当時の評価は決して高いものではありませんでした。
しかし、その前日譚として2004年にリリースされたゲーム『The Chronicles of Riddick: Escape from Butcher Bay』は、まったく異なる評価を受けました。映画の補完どころか、「映画を超えたゲーム作品」としてゲーマーたちの間で語り継がれる伝説的タイトルとなったのです。
このゲームの魅力は多岐にわたります。まず、リディックが収監されている銀河刑務所「ブッチャー・ベイ」からの脱出という設定自体が魅力的で、閉鎖空間におけるステルス、格闘、騙し合い、裏取引といった多層的なゲームプレイが高く評価されました。
ステルス・近接戦闘アクションは当時としては非常に洗練されており、敵の背後から静かに仕留める緊張感や、光と影を利用した潜伏戦術の奥深さは、まさに映画では表現できなかった「肉体の緊張感」をプレイヤーに課すゲーム設計となっています。
さらに注目すべきは、主演のヴィン・ディーゼル本人が声優・モーションキャプチャーとして全面参加している点です。これにより、リディックというキャラクターが「画面の向こうの人物」ではなく、プレイヤーに密着する存在として立ち現れることになりました。
映画ではあまり深掘りされなかったリディックというアンチヒーローの内面、信念、知性、そして暴力の美学。それらがゲームによって初めて多くの人に認識され、評価されたという点で、本作は非常にユニークな立場を占めていると言えます。
最後に
いかがでしたでしょうか。
本記事では、映画として生まれた宇宙世界が、ゲームという新たな表現媒体を通じてどのように再構築され、拡張されてきたのかを見てきました。かつては受動的に見上げるだけだった宇宙が、プレイヤーの判断と身体によって「インタラクティブな体験」へと変貌を遂げるプロセスには、映画とゲーム、そしてファンダムが三位一体となって創り上げた、新しい「銀河体験」が存在していたと言えるでしょう。
次回の記事では、「異星人との遭遇:宇宙映画での「ファーストコンタクト」はどのように描かれてきたのか?」と題して、宇宙映画史における「出会い」の瞬間をめぐる旅へとご案内します。お楽しみに!