宇宙映画シリーズ4 ファンダムの形成と宇宙映画:「スタートレック」から「ファイアーフライ」まで
『スター・トレック』や『スター・ウォーズ』などの大ヒット宇宙映画を語るにあたって、映画の世界観を熱狂的に支えるファンたちの存在は欠かせません。「ファンダム」と呼ばれる一群の人々を作り出すことによって、これらの映画は一つの映像作品を超えて、新たな物語を生み出し続ける一つの「宇宙」を生み出すことに成功しました。今回の記事では、これらの「ファンダム」がどのように生まれてきたのかについて、名作宇宙SF映画の歴史を紐解いていきます。
『ヲタク』『萌え』『推し』…『ファンダム』文化はどれに近い?
アメリカで発展してきた「ファンダム文化」について考える前に、日本で近年注目されている「推し文化」や、その土台となっている「ヲタク」文化、「萌え」文化との違いを見ておきましょう。
まず、これらの言葉はそれぞれ異なる時代背景と特徴を持っています。
1980年代から1990年代にかけて、『銀河鉄道999』『超時空要塞マクロス』『新世紀エヴァンゲリオン』といった作品の大ヒットをきっかけに、「ヲタク」という言葉が定着しました。これは、アニメやSFなどに熱中する人々を指す言葉で、作品への強いこだわりや知識の深さ、比較や分析を好む態度が特徴です。
その後、2005年の「電車男」ブームでアニメや美少女キャラクターへの熱狂がメディアに取り上げられたことで、「萌え」という言葉が広まりました。「萌え」は、キャラクターやしぐさに対して瞬間的に心を奪われるような感情のときめきを表す言葉で、ヲタク的な分析とは対照的に、主観的で感覚的な熱情が中心となります。
さらに、2010年代に入ると、アイドルブームとSNSの普及を背景に、「推し」という言葉が一般的に使われるようになりました。推し文化では、自分のお気に入りのキャラクターやアイドルを「布教」したり、イベントに参加したりグッズを買って「貢ぐ」など、積極的な応援活動(いわゆる「推し活」)が重視されます。
つまり、ヲタクは「理屈で好きになる」、萌えは「感覚でときめく」、推しは「行動で支える」と、それぞれ違った愛し方をしているのです。
一方、アメリカを中心に発展してきた「ファンダム」は、これらの日本のファン文化とは少し違います。
ファンダムでは、ただ作品を楽しむだけでなく、物語の世界観を深く読み込み、語り合い、さらには自分たちで創作するという文化が根付いています。ファンが自発的に集まり、同人誌やファンアート、考察記事を発表したり、コンベンション(ファンの集会)を開いたり、場合によっては署名活動などの社会的運動に発展することもあります。
このように、ファンダムは「推し文化」のような外向的な側面(布教・貢献)を持ちながらも、「ヲタク文化」のように物語や設定を深く掘り下げる知的な側面も併せ持っています。
この特性は、実はアメリカのイノベーションの中心地であるシリコンバレーの文化とも関係があります。
シリコンバレーを支えたいわゆる「Nerd」(「コンピュータヲタク」)たちは、自分の好きなものに没頭し、仲間と協力して新しい技術やサービスを生み出してきました。そうした精神は、まさにファンダムの「創造する共同体」に近いものです。
『スター・トレック』が切り開いた「ファンダム」の宇宙
アメリカにおけるファンダム文化は、誰かが意図的に作ろうとして生まれたものではありません。むしろ、その始まりはごく小さな運動でした。その象徴ともいえるのが、1966年に放送が開始されたテレビドラマ『スタートレック(Star Trek: The Original Series)』です。
『スタートレック』は放送当初から、原作者ジーン・ロッダンベリーが描いた独自の理想社会思想によって、一部の視聴者から熱狂的な支持を集めました。しかし、当時の一般的な評価は芳しくありませんでした。視聴率は伸び悩み、第2シーズン終了時には打ち切りが現実味を帯びていたのです。
ところが、ここで番組の終わりを惜しんだファンたちが動き出します。1968年から1969年にかけて、全米各地で『スタートレック』の放送継続を求める嘆願運動が起こり、NBCには数万通の手紙が殺到しました。この運動の結果、打ち切りは一時的に撤回され、第3シーズンの制作が決定。最終的に1969年に放送は終了したものの、ファンたちの声が初めてテレビの編成方針を左右した歴史的瞬間でした。
本放送の終了後、番組は地方局による再放送(syndication)を通じて再び注目を集めます。1970年代に入ると、大学生や若者層のあいだでファン人口が急増。「スタートレックを観ること」が知的で未来志向的なスタイルとして広がっていきました。これは、放送が終わった後に人気が高まり始めるという、後発的なファンダム形成の先駆的なケースとなります。
1972年、ニューヨークで開催された第一回スタートレック・コンベンションには、主催者の予想を大きく超える3,000人以上のファンが来場しました。そこでは、登場キャラクターへのコスプレやファンによる二次創作脚本の上映などといった、「ファンダム文化」の原型が形づくられます。このイベントは、単なるファンの集まりではなく、ファンが物語世界を“生きる場”を自ら構築した瞬間でした。
その後もファンたちは独自の創造性を発揮し続けます。劇中に登場するクリンゴン語(Klingon)は、もともと断片的に作られていた言語でしたが、ファンと専門家によって文法・語彙が拡張され、やがて実際に会話が可能な人工言語として発展します。現在では、クリンゴン語で書かれた『ハムレット』が存在し、世界中に学習者コミュニティが存在しているほどです。
『スター・ウォーズ』とポップカルチャーの銀河系化
『スター・トレック』が切り開いた「ファンダム」という概念を、最も商業的・文化的に拡張した作品が、間違いなくジョージ・ルーカスの『スター・ウォーズ』だと言えます。
1977年に公開された第1作(エピソード4『新たなる希望』)は、世界中で空前の大ヒットを記録し、のちにシリーズ全体で数百億ドルを超える累計興行収入を叩き出すことになります。
しかし、この成功の本質は映画の内容そのものだけではありませんでした。
それは、監督を務めたジョージ・ルーカスの、映画に付属する「商品化権」の価値を見抜いた慧眼にあります。
当時の映画業界では、グッズ展開は副次的なものとみなされており、そこに本格的に投資する先例はほとんどありませんでした。しかしルーカスは、配給を担当した20世紀フォックスとの契約において、映画の制作費の一部を自ら負担する代わりに、商品化権と続編制作の権利を獲得。その結果として、玩具・書籍・コミック・ゲーム・衣類など、あらゆるメディアや商品を通じて「スター・ウォーズ宇宙」を展開させ、映画本編を中心とした巨大な商業文化圏を築き上げていったのです。さらにその世界観は、「正史(カノン)」と「外典」という形で階層化・分類され、ファンの創作や考察も一定のルールのもとで包摂・管理されるようになりました。
あたかもルーカスの「帝国」のような様相を見せたスター・ウォーズ宇宙でしたが、1990年代以降、インターネットとデジタル映像編集技術の普及により、ファン自身が物語を創造・再解釈する時代が到来します。「ファン・フィルム」と呼ばれる自主制作映画が次々に登場し、ルーカスフィルム側も「非商業・非暴力・非ポルノ」という条件下でこれを黙認する柔軟な姿勢を見せるようになりました。この流れの中で、2003年にテレビアニメとして放送された『クローン・ウォーズ』など、一部のスピンオフ作品は元々ファンコミュニティの声や創作にインスピレーションを受けて公式化された事例なども登場します。ファンの声が直接、公式の物語に影響を与えるという構造は、かつてないファンダムの力の証明でした。
2000年代に入ると、SNSの普及により、ファンの間で日常的に語られ、ミーム化され、考察やパロディが無限に拡散されていくことで、スター・ウォーズはもはや宗教的・神話的な存在として位置づけられるようになっていきます。その極端な例として、2001年のイギリス国勢調査では、数十万人が自身の宗教欄に「ジェダイ(Jedi)」と回答し、「ジェダイ教」が一時“イギリス第4の宗教”と報道されるという現象まで起こりました。
スター・ウォーズは現代もなお、スピンオフ作品(『マンダロリアン』『アソーカ』など)やアニメシリーズ、新たなファンフィクションの発表などを通じて、ファンダムとともに生き続けています。
カルト化した短命SF『ファイアーフライ』が生み出した草の根運動
2000年代に入り、インターネットの普及とともに、ファンダム文化は新たな転機を迎えます。
その象徴的な作品が、ジョス・ウィードンによって生み出された『ファイアーフライ』でした。この作品のファンダムの誕生は、『スタートレック』以上にドラマチックで、ある意味では「現代ファンダムの原型」とも呼ぶべき出来事だったのです。
2002年、アメリカのFOXで放送が始まった『ファイアーフライ』は、宇宙西部劇とも呼ばれる独特の世界観を持ち、政府に追われるアウトローたちの自由と連帯を描く作品でした。
しかし、そのテーマは9.11直後のアメリカ社会においては“不謹慎”と受け止められ、視聴率も振るわず、わずか14話中11話の放送をもって打ち切りが決定されます。しかし、まさにそこから物語が始まるのです。
制作の打ち切りに憤ったファンたちは、劇中で政府に抗い続けた戦士たちの名前をとって、自らをBrowncoats(ブラウンコート)と名乗り始めます。彼らはオンラインでの署名運動や、自主上映会やイベントの企画、続編映画の制作費を確保するための草の根キャンペーンといった実践的な行動を起こし、ついには2005年、映画版『セレニティ(Serenity)』の公開を実現させました。これは、ファンによる組織的な働きかけによって実現した初の本格的続編映画であり、「打ち切り作品が蘇る」という奇跡の前例となりました。
こうした『ファイアーフライ』の展開は、キリストの短命な生涯と、それを信じる者たちによって築かれた長い宗教的伝統に重ねることすらできます。実際に、作品の放送期間よりも、ファンダムの活動期間のほうが圧倒的に長く、深く、広く続いています。この構造は、もはや「物語を語る主体」が制作者からファンへと移行したことを意味しているのかもしれません。
ファンダムは「知のあり方」を問い直す
ファンダムの魅力は、エンタメにとどまりません。
たとえば、世界中の人が編集に参加できるオンライン百科事典「Wikipedia」も、実はファンダム的な思想に基づいています。「知識は特権的な専門家の独占物ではなく、市民が自発的に編集し、共有していくべきものだ」という考え方です。
日本では学問といえば東京大学を頂点とした「官学」の伝統が強く、南方熊楠や福来友吉といった例外を除き、個人が自由に研究したり発信したりする文化はあまり育ちませんでした。
しかしイギリスでは、大学に所属しないアマチュア研究者への尊敬の念が強く、マルクスやダーウィンのような「独学者」が大きな思想を残してきました。
そう考えると、ファンたちが作り出した「外伝」がやがて映画化されてしまうほどの影響力を持つにいたるような宇宙SFのファンダム文化は、「知」と「創造」を誰にでも開かれたものにする力を持っていると言えるでしょう。
次回の連載では、こうしたファンダムがいかにして宇宙SFの世界を「ゲーム」として再構築していったかを取り上げます。
RPG、TRPG、SFシミュレーションなど、プレイヤーが“宇宙を生きる”側になる新たなフェーズのファンダムを見ていきましょう。
どうぞお楽しみに!