宇宙小説シリーズ5 異星の文明と私たちはどのように出会うのか?ファーストコンタクトの歴史を紡ぐ物語 

宇宙はこれだけ広大であるにもかかわらず、なぜ地球に住む我々は地球外惑星からの生命体と出会うことがないのでしょうか? 一つの仮説として、「地球外に住む知性は、我々人類が想像するようなあり方とは全く異なる形で存在している」という説があります。それは超重力惑星の地表に張り付くミミズかもしれないし、あるいは惑星全体を覆う海、もしくは意識すら持たない超知性かもしれません。地球人が「人間」として想像する2足歩行のタンパク質生物は、生命のあり方の特殊な一形態に過ぎないかもしれないのです。
今回は、SF作品の中で描かれる、異質な存在とのファーストコンタクトにフォーカスして、代表的な作品をご紹介します。

デイヴィッド・リンゼイ『アルクトゥルスへの旅』(1920):地球人自身の変容
http://www.bunyu-sha.jp/books/detail_arcturus.html

最初にご紹介するのは、20世紀初頭というSFの黎明期に発表されたデイヴィッド・リンゼイ『アルクトゥルスへの旅』(1920)です。本作はCSルイスやトールキンをはじめとするファンタジー作家や、後代のSF作家に大きな影響を与えたことで有名です。
本作の主人公は、降霊会に参加したことをきっかけに、創造主を求めて惑星アルクトゥールスへ旅立った地球人のマスカルです。彼は行く先々で様々な異星人と出会うことを通じて、自らの身体そのものを変容させていきます。例えば、重力が強い惑星トーマンスにおいては、「軽い血」を宇宙人から分けてもらって体重を軽くします。他にもあらゆる生きものに共感できるようになる「ポイグンズ」、愛を伝える「マグン」、互いの考えを読み取る「ブリーヴ」、必要に応じて重要なものとそうでないものを分ける眼「ソーブ」など、様々な身体器官の変容を経て、マスカルはもはや地球人ではない存在へと進化していくのです。
神秘的な描写が多い本作は多様な解釈に対して開かれていますが、一つの見方として、「異質な知性とのファーストコンタクトは地球人の存在のあり方の変容を促すだろう」というメッセージを読み取ることも可能でしょう。私たち人類は、異質な存在との出会いによって常に自分自身のあり方を変容させてきました。異星の文明とのコミュニケーションは、自分自身を不動の観察者として実験対象を操作するような形では起こらず、むしろ人類そのもののあり方を根本的に揺さぶるような形で起こるのかもしれません。

ハル・クレメント『重力の使命』(1953):超重力惑星に張り付いたミミズ
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次にご紹介するのは、ハル・クレメントの『重力の使命』(1953)です。科学的事実に基づいた丁寧な思索を展開するハードSFの代表作として評価の高い本書ですが、本作は地球人側ではなく、宇宙人側の視点で描かれます。ここで登場する宇宙人はなんと人型ではなく、ムカデ型です。極地においては地球の約700倍の重力を持つ高重力惑星メスクリンにおいて、座礁したロケットを回収するミッションを地球人が現地に住むムカデ型のメスクリン人に依頼するというプロットが展開します。
本作ではハードSFならではの厳密な科学的描写によって、高重力環境下に生きるメスクリン人がどのような世界観の中に生きているかが詳細に描かれます。例えば彼らには「飛ぶ」や「ものを投げる」といった観念がなく、高い場所にいることや物体の下敷きになることに対する強い恐怖心を持っています。このように、生育環境が異なることによる文化の違いを厳密に想像してみせた点で、本作は興味深い視点を提供しています。

スタニスワフ・レム『ソラリス』(1961):惑星を覆う海
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ポーランドの鬼才スタニスワフ・レムによる『ソラリス』(1961)は、さらに異質な知性のあり方を垣間見させてくれます。本作におけるエイリアンは、惑星全体を覆っている「海」です。
謎に満ちた惑星ソラリスの観測ステーションに派遣された心理学者のケルビンは、なぜかそこで10年前に自殺したはずの恋人のハリーと再会します。ところが、この「ハリー」は本物のハリーではなく、ソラリスの「海」がステーション内にいる人間の記憶から生み出すコピーだと判明。ケルビンはX線操作によって「海」に対して「ハリー」を送り返すことを決め、無事にミッションに成功します。例え本物ではないとわかっていても捨てきれない「ハリー」に対する切ない愛情と、意図の不明な「海」の不可解な存在原理に対する疑問が絡み合い、独特な読後感を醸し出すプロットです。
本作が示唆するのは、人間とはあまりにかけ離れたあり方を持つ知性とのコミュニケーションの不可能性です。ソラリスの「海」は、確かになんらかの意思を持って「ハリー」をケルビンの元に送り込んだはずですが、それが歓待なのか共感なのか、それとも挑発なのか、人間の側には推し量ることすらもできません。しかし本作の主人公であるケルビンはそれでもなお、「海」を研究し、その性質を解明すべくステーションに留まることを選びます。理解不可能であることをわかっていながらも、なお理解しようとする努力をやめない主人公の姿に、人類の希望が託されているようにも見えます。

アーサー・C・クラーク『宇宙のランデヴー』(1973):そもそもコンタクトが起こり得ない
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次にご紹介するのは、アーサー・C・クラーク『宇宙のランデヴー』(1973)です。キューブリック監督によって映画化された『2001年宇宙の旅』と並ぶクラークの代表作として知られます。
本作はファーストコンタクトものとして知られている反面、作品の中でそもそも異星人とのファーストコンタクトが起こりません。人類は巨大な宇宙船が移動しているのを発見して「ラーマ」と名づけ、その内部を探検しますが、宇宙船は自動操縦されており、内部には生物ともロボットともつかないカニ型の「バイオット」が徘徊しています。人類は最終的にラーマを作った人々である「ラーマ人」の手によるものと思われる工芸品のカタログを船内に発見するのですが、その宇宙船の作り主とはついぞお目にかかることなく物語は幕を閉じるのです。
本作は映画監督によっても熱い眼差しを注がれており、かつてはモーガン・フリーマンが映画化を試みたところ挫折、最近では『ブレードランナー2049』や『DUNE』の監督を務めたドゥニ・ビルヌーブが映画化権を取得したようです。ヴィルヌーブ監督が得意とする圧倒的なスケール感ある映像で本作が再現されるのが待ち遠しいですね。
本作から感じられるのは、「異星文明があったとしても、それが地球人に関心を持つとは限らない」というメッセージです。地球人の視点からすると、自分たちより進んだテクノロジーを持った異星文明が存在したら脅威であり好奇心の対象ですが、進んだ科学技術を持った宇宙文明からしてみれば、地球人など関心を向ける価値のない存在として映る可能性もあります。地球中心主義的な視点から離れた客観的な視点を与えてくれる意味で、本作は特異な立ち位置を占めると言えるでしょう。

ピーター・ワッツ『ブラインドサイト』(2006)
https://www.tsogen.co.jp/np/isbn/9784488746018

ここまでご紹介してきたファーストコンタクトものは、人類とはかけ離れた存在形態とはいえ、なんらかの「意識」を備えた知性としてのエイリアンが登場するという点では共通していました。ピーター・ワッツの『ブラインドサイト』(2006)では、その前提すらも超えて「意識を持たない高度な生命体との邂逅」というビジョンを提示します。
本作に登場する登場人物は、「遺伝子操作によって現代に復活した吸血鬼」、「四重人格の言語学者」、「感覚器官を機械化したサイボーグ生物学者」など、地球人の側も一筋縄では行かない変人たちばかりです。ところが、彼らが対峙する地球外生命体である9本足の「スクランブラーズ」は、その彼らをも当惑させる謎を突きつけます。彼らを研究する過程を通じて、地球人側は徐々に、彼らが意識や言語を発達させる代わりに、ダーウィン的な生存競争の結果として情報処理能力だけを発達させてきた「超知性」生命体であるという事実を悟ります。この事実に気づいたヴァンパイアのジャン=リュー・ラノーは、やがて人類が彼らに滅ぼされる運命にあることを確信し、人類側を裏切る反乱を起こすことに。最終的な結末は読者の想像に委ねられていますが、「知性にとって意識は本当に必要なのか?」という疑問を投げかけるプロットになっています。
私たちは通常、「意識を持つ」ことを高度な生命体の必要条件として当然視していますが、純粋な生存競争の観点からすれば、意識は必ずしも必要ではなく、むしろ進化の妨げになるものなのかもしれません。アーサー・C・クラークの『幼年期の終わり』でも、人類が個別の自己意識を消滅させて一つの超意識に統合されていく黙示録的なプロセスが描かれましたが、本作はそれを地球外生命体に託してより現代的な視点から描いた作品だと言えます。

いかがでしたでしょうか。摩訶不思議な生命体から意識を持たない超知性に至るまで、人類が地球外生命体に託してきたイメージは多岐に渡りますが、それらを通じて人類自身の自己意識のあり方を探求してきた宇宙SFという営みの面白さも垣間見れたのではないかと思います。

次回の連載では、「最後のフロンティアに挑んだ人類は何を見たのか?宇宙探査が描く希望と不安」と題して、宇宙進出と人類の未来について扱ったSF作品をご紹介します。お楽しみに!