宇宙言語シリーズ3 SF映画の中の宇宙言語〜『アバター』から『スタートレック』まで
「宇宙言語」をテーマとした本連載では、人類が宇宙人言語を探求する可能性や、歴史における宇宙人言語の痕跡について考察してきました。しかし来るべき宇宙時代に向けて、人類自体が新たな言語を生み出す可能性はあるのでしょうか? 20世紀初頭に大きな盛り上がりを見せた「エスペラント語」の創造のみならず、世界中の言語学者たちがしのぎを削って新言語の創作に励んでいます。
中でも注目されるのは、SF映画における「宇宙言語」です。SF映画のリアリティを演出するポイントとして、近未来的なメカやCG演出に加えて、「言語」をはじめとした独創性あふれる宇宙文化の描写は重要な要素の一つです。そのために、ハリウッドの映画プロデューサーの一部はプロの言語学者をチームに引き入れ、本格的な言語制作を行っています。例えば映画『フィフス・エレメント』で大人気女優デビューを果たしたミラ・ジョボヴィッチは、監督リュック・ベッソン自身の手によって創作された古代宇宙語を自由自在に話せるように訓練し、後にお互いカップルとなった際はこの言語で愛の言葉を交わし合ったそうです。こうした人工言語はConLang(Constructed language: 人工言語の略称)と呼ばれ、20世紀初頭から脈々と続く伝統が存在します。今回は代表的な4種類の人工言語を紹介し、その将来的な可能性を考察します。
「人工言語」を学ぶことに意味はあるのか?
「人工言語」と聞くと、「ただでさえ英語で一苦労しているのに、一体どこの酔狂者が好き好んで誰の母国語でもない人工言語を学ぶんだ」と思われる方もいるかもしれません。しかし実際には、「人工言語」を学ぶことには大きく分けて二つの意味があります。
一つ目は、シンプルで学びやすい人工言語に触れることで、外国語学習へのハードルが下がることです。民族の長い歴史を蓄えた自然言語は、時として文法における不必要な複雑さを伴うことが多いです。しかし、言語学者が一から創造した人工言語は、合理的で習得者への配慮が効いている場合が多いため、比較的容易に習得することができます。成功体験を積んでコツを掴むことで、他の言語を学ぶ際にも役立つ知恵が手に入ることでしょう。
二つ目は、その言語を学ぶコミュニティへのチケットが手に入ることです。青春タイムスリップ映画「17アゲイン」では、全く無関係だった二人がお互いが『指輪物語』のファンであることを打ち明け、この後ご紹介する「エルフ語」で会話することで意気投合し、カップルが成立する様子が描かれていました。このように、人工言語を学ぶことは全く意味がないわけではなく、むしろ小規模の情熱に満ちたファンコミュニティへのアクセス権を手に入れる裏口となっている現実があります。特にこれからご紹介するクリンゴン語などのSF作品は、シリコンヴァレーをはじめアメリカの大企業のCEOたちも大好きな作品のため、商談成立のきっかけとなる可能性もあります。通常、大企業のCEOとのコネを手に入れようとしたら年会費数万ドルのクラブに入会する必要があるかもしれませんが、言語を学ぶことは時間はかかるにせよ、費用はタダです。英語を喋れる人口が増え続けている現在、人工言語の習得はむしろ希少価値を増してきていると言えるかもしれません。
初代創作言語としてのトールキンの「エルフ語」
創作言語という概念の可能性を探求した最初の人物として知られているのは、ファンタジー作家のJ.R.R.トールキンです。古ゲルマン語派を専門とする文献学者でもあり、ゴート語や古アイスランド語をはじめとする十数個の言語を使いこなしたとされるトールキン博士は、自身のライフワークとして13歳の頃から人工言語の創作に取り組みはじめ、亡くなるまでにクウェンヤやシンダール語といった複数のエルフ語の体系を遺しました。
人工言語創作者としてのトールキンの革新性は、「言語の背景には必ずその民族の歴史がなければならない」という信念にありました。「言語と神話が密接に関わっている」という直感を持っていた彼は、自身の『指輪物語』や『シルマリルの物語』などの神話を創造する際に、単に英語で書いているだけでは本当の神話になりえず、新たな神話の創造は新たな言語の創造を伴う必要があると考えていました。言語を通じた世界認識の背後に、その民族が歩んできた歴史と文化、そしてその奥にある神話が存在することを見抜いていた彼は、後の人工言語制作者にとって汲めどもつきぬインスピレーションの源を提供することとなりました。
なお、トールキンの言語に対する考え方は、オックスフォードの先輩であるオーウェン・バーフィールドに影響を受けて形成されたとも言われています。バーフィールド博士の主著である『英語のなかの歴史(渡部昇一訳)』の中には、英語の中の単語の一つ一つがどのような歴史的変化を遂げてきたのかについて、詳細な記述がされており、言語が決して固定した閉鎖的なシステムではなく、時代の変化に応じて動的に適応するシステムであることが示されています。言語を通じて私たちの社会のあり方や歴史の本質について洞察する上での名著ですので、興味のある方はぜひご一読をお勧めします。
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学習者にとっては気の重い話かもしれませんが、エルフ語は一枚岩ではなく、初代エルフたちが使っていた言語が地方ごとに様々な変化を遂げ、あたかも俗ラテン語がフランス語、スペイン語、イタリア語に分岐していったように、テレリ語、アヴァリ語といった複数の言語に分岐していきます。このようなディテールにおいても、トールキンの言語観が現れているといって良いでしょう。
エルフ語の基礎から学べる文法書も日本語で刊行されているため、『指輪物語』のファンの方はもちろん、創作言語に興味のある方はぜひ覗いてみてください。
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ハリウッドで引っ張りだこ! 人工言語第二世代を代表する二人の言語創作者
トールキンを人工言語第一世代だとすると、人工言語第二世代はハリウッドの資本力に支えられた映画時代の申し子とも言えます。第二世代の代表者の中でも有名な言語制作者は二人おり、マーク・オークランド氏は『スター・トレック』のクリンゴン語、ポール・R・フロマー氏は『アヴァター』のナヴィ語を創造しました。
世界で10万人以上が学習する『スタートレック』の「クリンゴン語」
人工言語第二世代の中で、現在世界中で最も愛されている言語はなんといってもクリンゴン語です。「世界で最も広く話されている人工言語」としてギネス世界に登録されたクリンゴン語は、当初は『スター・トレック』に登場するクリンゴン人の言語として、俳優が自身で制作した宇宙人らしい言葉を劇中で使用することから始まりました。その後制作会社は劇中の言語を本格的に作り込むことを決め、言語学者のマーク・オークランド氏にスポックのバルカン語の制作を依頼。その後『スター・トレック3』でいよいよクリンゴン語の本格的な制作に取り組んだオークランド氏は、アラビア語、トルコ語、イディッシュ語、日本語、そしてアメリカ先住民の言語の要素を取り入れた独特の言語を創造しました。当初は映画で使用する部分のみちゃんと聞こえていればいいというスタンスで作っていたそうですが、1990年以降のファン層の拡大に伴い、足りない語彙がどんどんファンたちの手によって付け加えられていき、文法規則の整備も進みました。現在では語学学習アプリのDuolingoでもクリンゴン語を学ぶことができ、学習者数は10万人を超えるといいます。それでも流暢に会話できるのは20名程度しかいないとのことなので、道のりは険しいですね。
https://www.duolingo.com/course/tlh/en/Learn-Klingon
また、YouTube上にはクリンゴン語の教師として生計を立てている方もいるようで、クリンゴン語でのラップやクリンゴン語での芝居など、様々な文化活動を行っているようです。
https://youtu.be/seZZaWT43lA
ウェブ上で無料で日本語でクリンゴン語が学べるウェブサイトも存在しているので、教材に困ることはなさそうですね。
https://www.asahi-net.or.jp/~vz4s-kubc/hol.html
また、2025年2月には日本語で初のクリンゴン語の辞書が刊行されたため、興味のある方はぜひクリンゴン語の世界を覗いてみてください。
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発音が難しい! 『アバター』のナヴィ語
人工言語第二世代の中でも、最初から細部まで厳密に作り込んで制作された本格派の言語の先駆けが映画『アヴァター』のために制作されたナヴィ語です。言語学者のポール・フロマー氏は、アメリカ先住民族の言語やハウサ語などのアフリカの言語を中心に、音韻や形態、統語システムを精密に構築し、宇宙のどこかで話されていてもおかしくない言語の創造に成功しました。
ジェームズ・キャメロン監督の「人類が学習可能で、かつ地球のどの言語とも似ていないものを作ってほしい」という意向の元で創作されたナヴィ語は、接中辞の多用といった文法上の特徴の他に、「放出音」という独特な発音があり、習得のハードルを上げています。放出音は一時的に声帯を閉めて口腔内の気圧を上げ、それを一気に放出することで出す子音の一つで、グルジア語やアムハラ語、ナバホ語などの言語に見られます。このようなエキゾチックな発音には、他にもシンド語に見られる「入破音」やコサ語に見られる「吸着音」などがありますが、これらのうちのどれか一つを入れるだけでも一気にエイリアンの言語という感じが増しますね。ナヴィ語の発音は独特な音楽性があるため、ぜひ一度聞いてみてください。
https://youtu.be/VMnOmmO0vcU
また、世界中のファンたちの手によって、ナヴィ語の語彙や初級文法について学べるウェブサイトが英語で存在しています。現段階では日本語バージョンは普及していないようですが、いずれアバターのファンが拡大することで学習基盤が整ってくるかもしれませんね。
http://www.learnnavi.org/
以上の他にも、デヴィッド・J・ピーターソン氏が創作した『ゲーム・オブ・スローンズ』のドスラク語や高地ヴァリリア語(こちらはDuolingoで学ぶことができます)、『マイティ・ソー ダークワールド』のダークエルフ語など、人工言語は次々と生み出されており、留まるところを知りません。単なる空想の話ではなく、実は本当の宇宙人言語がその中に紛れているかも?と思うと、期待に胸が膨らみますね。
宇宙人との交流がテレパシーで行われるのか、それとも彼らには彼らなりの言語があるのか。根本的な疑問は未解明なままですが、謎も謎として楽しみつつ、宇宙のロマンと言葉の豊かさに触れる旅に出発しましょう。