宇宙小説シリーズ1 SF小説の起源をたどる:月への夢の歴史
SFはいつ始まったのか?
人類の空想はいつの時代も宇宙に向かってきましたが、「SF小説」と呼べるものが本格的に書かれるようになったのはいつだと思いますか?
現在の「SF」の言葉を最初に定義したのは、20世紀初頭に活躍したSF作家のヒューゴ・ガーンズバックです。「SF作家の父」として、SF界最高の名誉である「ヒューゴ賞」にその名を残しています。
しかし、実はガーンズバック以前にも、人類が宇宙に旅立つ作品を描いた作家が何人もいました。その代表格が、シラノ・ド・ベルジュラックです。
17世紀:シラノ・ド・ベルジュラックの「月世界旅行記」
人類最初の本格的な宇宙小説は、1657年にフランスで発表されました。
当時の科学的な状況を振り返ると、16世紀前半にコペルニクスが地動説を発表したものの、キリスト教会の圧倒的な権威のもと、地球が太陽の周りを回っているという世界観はまだまだ一般大衆には普及していませんでした。
この状況に対して一石を投じたのが、風刺文学作家のシラノ・ド・ベルジュラックです。
彼の死後に刊行された「月世界旅行記」と「太陽世界旅行記」のなかで、ベルジュラックはコペルニクス的な世界観のもとで、人類を月と太陽に送り込みました。
ただ、当時はまだ17世紀中盤。現代のような科学的知識をこの作品に期待してはいけません。彼が月世界旅行にどんな装置を使ったかというと、「水を入れたボトル」。これを6つ束ねて一段とし、何段も重ねたものを体にくくりつけることで、ついに月への到達に成功した、という描写になっています。
彼の主眼はどちらかというと宇宙そのものというよりも、宇宙という離れた場所から、当時の地球上の社会状況や閉鎖的な教会の姿を風刺するという点にあったようです。17世紀フランスの啓蒙思想の中に、すでに宇宙開発への萌芽があったということは、非常に興味深い事実ですね。
19世紀:ジュール・ヴェルヌの「月世界旅行」
さて、時間の針を一気に進めてみましょう。19世紀中盤にもなると、産業革命によって技術革新が急速に発展し、月旅行を目指すSF作品にも現実的な考察が加わるようになってきます。
このタイミングで発表されたのが、1865年と1870年に相次いで発表された「月世界旅行」です。
今回はどうやって月を目指すのかというと、なんと「大砲」を使います。アメリカの「大砲クラブ」のメンバーが、巨大な大砲「コロンビアード」を使って人類を月に送り込むのです。当時は南北戦争などで大砲が使用されたこともあり、人々にとって親しみのある技術だったのですね。この大砲による宇宙飛行の描写は、ジョルジュ・メリエスが映画化した「月世界旅行」のなかで、人間の顔が描かれた月に大砲が突き刺さるシーンとして見たことのある人も多いのではないかと思います。
本作の見どころは、大砲の設計、発射角度、弾道計算など、物語の中で技術的な要素が精緻に描かれているところです。特に、着陸時にロケットを逆噴射する描写などは、現代のロケット科学を先取りしているところもあるので、驚きです。
20世紀初頭:H.G.ウェルズの「月世界最初の人間」
20世紀に入ると、1901年にH.G.ウェルズが「月世界最初の人間」を発表します。
月への移動の技術として使われたのは「大砲」ではなく、「反重力物質」。天才発明家ケイヴァーが月に行くための物質「ケイヴァライト」を発明し、主人公ベッドフォードと共に月への旅行に挑みます。
この点からもわかる通り、ウェルズは科学的精密さよりも、月旅行が人間社会に与える影響に焦点を当てています。本作では昆虫のような生態を持ち、集団社会を形成している「ソルナイト」という生命体が「月の住人」として登場します。彼らの社会は徹底した管理社会であり、そこには自由意志の概念が存在しません。まるでソ連の全体主義社会を予言したような内容ですが、この辺りに、帝国主義や資本主義真っ盛りの当時の社会へのウェルズの冷徹な分析眼が光っています。
ウェルズあたりから、SFは単なる科学小説を超えて、社会的・哲学的なテーマを扱った作品ジャンルとして成長し始めたのが読み取れますね。
20世紀後半:アーサー・C・クラークの「渇きの海」
20世紀後半にもなると、米ソの宇宙開発競争の影響もあり、現実的な宇宙SFが続々と発表されるようになります。
その中でも「月」を描いた作品として注目に値するのは、科学解説者としても名高いアーサー・C・クラークの「渇きの海」でしょう。ジャンルとしては「ハードSF」、つまり技術的詳細がてんこ盛りになった、科学者が読んでも勉強になるタイプのSF小説です。特に、月面の低重力や真空、微細なダストの特性などについては、驚くほど詳細に描写されています。
テーマとしても現代的で、「月面での観光ツアー中に起きる事故」。今から50年後に実際に起きていそうな話ですね。観光用の船「セルレナ号」が月面の「ダスト・シー」に沈み込んでしまい、生き埋めの危機に直面した客たちによる極限状態での人間ドラマが展開されます。
ただし、この作品が発表されたのは1961年で、1969年のアポロによる月面着の八年前です。つまり、この作品は、有人月面探査が達成される以前に書かれた作品でした。そのため、「月の上の砂=レゴリスは、特殊な電磁気的条件によって水のように流動しており、ものを乗せることができないのではないか」という当時の仮説の元にストーリー全体が展開しています。さすがのアーサー・C・クラークも、月の上のレゴリスが実際にどうなっているかまでは予言できなかったようです。
21世紀初頭:アンディ・ウィアーの「アルテミス」
21世紀に入っても、月をめぐる人類の想像力は衰えるどころか、増していっています。その中でも特筆すべきは、「火星の人」で一躍有名になったネットSFの寵児、アンディ・ウィアーによる「アルテミス」でしょう。
前作「火星の人」はマット・デイモン主演の映画「オデッセイ」として大ヒットを記録した彼が、満を辞して挑戦した主題が「月旅行」でした。
アーサー・C・クラーク同様、ここでも月に訪れる人々の主眼はやはり「観光業」ですが、観光客が月を訪れる動機や、それを支えるインフラ、サービスの描写が、現実的なビジネスモデルとして十分通用するものになっているところがウィアーのすごいところです。真空状態や昼夜の温度差に対処するためのドーム内の温度管理システムや宇宙服のデザイン、地球と月の間の通信や輸送の遅延も、現実的に描かれています。
また、核融合エネルギーの燃料として注目されるヘリウム3(He-3)の採掘が月の主要産業になっている点などは、非常に現実的で注目に値します。まさに「宇宙ビジネス」の青写真がここに描かれていると言えるでしょう。
さて、ここまで月旅行を描いたSF小説の歴史を簡単に振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか。SFの歴史をたどると、科学技術の進展と、人類の豊かな想像力が、お互いに助け合って進化してきたのだということがよくわかります。これからも、夜空を見上げて空想に浸る時間を大切にしていきたいものです。
次回は、「火星」をテーマに、SF小説の歴史を辿っていきます。お楽しみに!