宇宙小説シリーズ2 「メタファーとしての火星:帝国・フロンティア・そしてエイリアン」
火星のSFにおける象徴的な地位
古代ローマ神話において、戦の神マルスに準えられる火星は、他の天体と比べて特別な地位を占めてきました。その理由は、火星が地球から見て最も「近い」未知の世界であり、科学的にも想像力をかき立てる対象であり続けてきたからです。
最近でも、イーロン・マスクを初め、世界の大富豪がこぞって火星を人類の移住先として開発しようと試みていますが、実は19世紀の時点から、火星は「次に人類が到達すべき場所」として位置付けられていたのです。
火星がSF作家にとって魅力的な舞台となったのは、その神秘性と地球との近似性によるものです。地球に似た気候や地形があり得るという考えは、火星を「第二の地球」として描くことを可能にしました。これにより、火星は未知でありながらも理解可能な存在として、さまざまな物語の背景となったのです。
H.G.ウェルズの『宇宙戦争』
火星はまず、「侵略者」としてSFに登場しました。それがH.G.ウェルズによって1898年に発表された世界的名作、「宇宙戦争」です。
冷酷かつ高度な技術を持つ火星人は、あっという間に地球を侵略し、人類を滅ぼそうとするのですが、地球上のバクテリアによってあっけなく倒されます。圧倒的な科学技術をもってしても、「大地の力」である細菌には勝てなかった、という「ヴィヴァ・地球!」的な結末です。
当時の社会に対する批判をSFに込めるのを得意としたウェルズは、本作においても「火星人による侵略」を通して、当時の帝国主義的な侵略政策を暗示しています。つまり彼の描く火星人による地球侵略は、19世紀末の欧米諸国による植民地支配を象徴しており、逆転された視点での帝国主義を描くことで、人類の行為への反省を促しているのです。
この作品は一大センセーションを巻き起こしました。1938年のオーソン・ウェルズによるラジオドラマ版が、パニックを引き起こすほどリアルに受け止められたことは有名です。
エドガー・ライス・バローズの『火星のプリンセス』
20世紀初頭になると、火星はファンタジーの舞台になりました。それが1912年に発表されたエドガー・ライス・バローズの『火星のプリンセス』です。火星を舞台にした壮大な冒険譚である本作は、SFファンタジーの源流となりました。
ある日ひょんなことから火星に飛ばされてしまった地球人の主人公ジョン・カーターが、火星で出会う異星人や異なる文化に触れながら、勇敢に戦い、愛を育んでいくのですが、特筆すべきなのはエイリアンたちの社会描写。火星に様々なエイリアンの種族が住んでおり、それぞれ独自の文化や社会構造を持っていることが詳細に描写されています。この辺りは、後のSF巨編「スター・ウォーズ」に大きな影響を与えています。
本作はディズニーが2012年にディズニー生誕110周年記念作品として「ジョン・カーター」として映画化したのですが、大ゴケ。3部作で公開されるはずが、第一作で打ち切りになってしまってしまいました。タイトルを「火星のプリンセス」のままにしておけば、売れ行きは変わったかも?と思わなくはないですが…。映画のできはさておき、原作小説のクオリティは今読んでも色褪せていません。
C.S.ルイスの『沈黙の惑星を離れて』
1938年に発表されたC.S.ルイスの「沈黙の惑星を離れて」は、一風変わった火星の姿を描き出します。「ナルニア国物語」で有名な作者のC.S.ルイスですが、彼の作品は独特のキリスト教神学の思索に貫かれている点が特徴です。本作においても例外ではありません。
言語学者の主人公であるエルウィン・ランサムが、悪徳科学者たちに誘拐され、火星(マルカンドラ)に連れて行かれるという物語なのですが、そこで描かれる火星人たちは純粋で、争いを知らず、神に近い存在として描かれます。地球は自己中心的で破壊的な性質を持つ人類が支配する「沈黙の惑星」であるとする描写からも、ルイスの厳しい文明批判が読み取れます。
C.S.ルイス、J.R.R.トールキンなど、当時のオックスフォード系ファンタジー作家に共通するのは、言語への深い関心です。本作「沈黙の惑星を離れて」の中にも、自然と調和した言語を喋るサルニ族や、抽象的で高度な言語を喋るフィルトリグ族など、様々な言語が登場し、それらが民族の世界観や思想を形成している様子が描かれます。異星人との言語を通したコミュニケーションを本格的に描いた作品としても、本作は注目に値するでしょう。
レイ・ブラッドベリの『火星年代記』
20世紀半ばになると、「火星植民」が本格的に考察されるようになります。それが1950年に発表されたレイ・ブラッドベリの連作短編集「火星年代記」です。
本作の特徴は、「年代記」というだけあって、目まぐるしく時代が展開して予想外の方向に歴史が進んでいく点でしょう。当初、地球人と火星人の対立が描かれていると思えば、地球人が持ち込んだ伝染病により突如として火星人が絶滅。その後、地球で核戦争が勃発して地球の文明が壊滅し、生き残った地球人たちが火星に移住して火星人として生きていく、という波乱万丈の展開を遂げます。
本作における火星は、アメリカ大陸に次ぐ「新たなフロンティア」であり、地球の問題から逃れようとする人々の新天地として描かれています。しかし一方で、人類の内面的な欲望や恐怖を映し出す舞台ともなります。印象的なのは、火星に移り住んだ地球人が見せる、火星人の文化に対する恐ろしいほどの「無関心」です。ブラッドベリは、火星という舞台を使って、植民地支配の際の異文化理解の難しさを描いてみせました。詩的で幻想的な文体を得意とする彼が活写した火星の荒涼とした風景は、失われた文明や過去の罪を暗示し、物語全体に深い哲学的なテーマを与えています。
キム・スタンリー・ロビンソンの火星三部作
20世紀終盤になると、「火星植民」の具体的ビジョンが加速します。1993年に発表された、キム・スタンリー・ロビンソンの火星三部作はその代表作でしょう。
本作の特徴は、なんといってもその科学的・社会的描写のリアリティです。火星の地形改造(テラフォーミング)によって、火星の過酷な環境をどのように人類が住めるように変えていくかが詳細に考察されると同時に、倫理的な問題や環境破壊の危険性も描かれます。また、火星の上で地球の旧来の社会構造から解放された新たなコミュニティが形成された際の「社会的な実験場」としての描写もフィクションとは思えないほどリアルです。(ちなみにその時点で多国籍企業群が合併して国家を超える規模の支配力を手にいれ、国連すらも傘下に入れた設定になっています。)
今や、本作において火星植民の〈最初の百人〉が乗り込んだ2027年は三年後に迫っています。技術的な課題は山積みですが、当時と比べると民間宇宙開発が飛躍的に進んできたのは事実です。数十年後にロビンソンの描いた未来が実現するのも夢ではありません。しかし、それが果たして幸せな未来になっているか、それとも単なるディストピアと化してしまっているのか、それが問題ですね。
さて、ここまで火星を描いたSF小説の歴史を簡単に振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか。できれば、「第二の地球」に移住する必要がないように、地球において平和な文明を継続していきたいものですね。
次回は、「スペースオペラ」をテーマに、SF小説の歴史を辿っていきます。お楽しみに!