宇宙映画シリーズ1 宇宙映画の夜明け:サイレントからトーキーへ
本連載では、宇宙を描いたSF映画の歴史を辿っていきます。
第一回のテーマは、「サイレント映画からトーキーへの移行」。1920年代後半のトーキー技術の導入を受けて、宇宙SF映画はどのような進歩を遂げたのでしょうか。本記事では、初期の宇宙映画が直面した技術的な制約と、それをどのように克服してきたかを、代表的な映画を通じて紹介します。
サイレント映画時代の宇宙映画①『月世界旅行 (1902年)』
世界初の宇宙SF映画として知られる作品は、1902年にジョルジュ・メリエスが発表した『月世界旅行』です。
上映時間は約14分と非常に短いですが、その中で画期的な特殊効果とセットデザインを駆使して、壮大な宇宙旅行を描ききっています。映画のクライマックスである、ロケットが月の顔に突き刺さるシーンは、見たことのある人も多いのではないでしょうか。
もともとマジシャンとしてキャリアをスタートさせたメリエスは、本作の中にもその視覚的なトリックを随所に散りばめています。ロケットが月に着陸するシーンでは、リフレクション技術やミニチュアを使用して現実感を出したり、セレナイト(異星人)の消滅シーンでは、ストップトリックを使って瞬時に消えるように見せたりなど、現代の我々が見てもあっと驚く工夫がたくさんあります。彼にとって映画とは、マジックの延長線上にある視覚芸術だったに違いありません。
サイレント映画時代の宇宙映画②『月世界の女(1929年)』
サイレント映画時代の宇宙SF映画として絶対に外せない作品が、ドイツの映画監督フリッツ・ラングによって制作された『月世界の女』です。本作は、宇宙飛行や月面探査をリアルに描写した最初の映画とされています。
何よりも重要なのは、この映画の内容が、実際の宇宙開発に多大な影響を与えたこと。例えば、「ロケット発射に当たってカウントダウンを行うこと」や、「宇宙空間でロケットが切り離される多段式ロケット」などのアイデアは、この映画のなかで初めて提示されたと言われています。現実よりも映画が先行するなんて、SF冥利に尽きる話ですね。
なぜこんなにリアルに描けたかというと、V2ロケット開発に貢献することになるナチスドイツのロケット工学者たちが科学考証や監修として参加していたんです。つまり、ロケット技術のパイオニア(つまり、ナチス・ドイツの科学者たち)が本腰入れてこの映画の制作に関与していたことになります。
監督のラングは前作『メトロポリス』でも大成功を納めたSF映画監督であり、宇宙飛行士のキャラクター造形から、ロケットの形状や発射プロセスに至るまで、セットデザインやミニチュア、特撮技術を駆使して月面の荒涼とした風景をリアルに描き切っています。
トーキー時代の宇宙映画①『世界の終り(1931年)』
トーキーを初めて導入した映画は1927年の『ジャズ・シンガー』ですが、そこから4年も経たないうちに、宇宙映画にもトーキーを導入する試みがなされました。それが、サイレント時代の巨匠として名を馳せたフランスの映画監督アベル・ガンスが手掛けた『世界の終り』です。
ガンスのサイレント時代の代表作である『ナポレオン』は、12時間にわたる超巨編として知られ、2016年にデジタルリマスター版が発表されるなど、今でも高い評価を受けています。キリストが磔にされるシーンから幕を開け、地球に彗星が衝突するまでの混乱を描く本作もまた、混迷極まる現代において見直すにふさわしい作品です。しかし公開当時は3時間ものの大作だった本作は、現在では残念ながらその半分しかフィルムが残っていません。
当時の観客からの評価は低く、監督であるガンス本人も「失敗作」として扱っていたと言われます。しかし、彗星衝突のシーンでは迫力ある音響が効果的に使われており、宇宙映画におけるトーキーの可能性を後世に示した重要作品と言えるでしょう。事実、この作品は、『地球最後の日』や、『アルマゲドン』、『ディープ・インパクト』といった隕石衝突系の作品の元祖として記憶されています。
トーキー時代の宇宙映画②『フラッシュ・ゴードン・コンクエスト・オブ・ザ・ユニバース(1940年)』
1940年代は、第二次世界大戦の影響で大規模なSF映画の制作が減少していた時期です。また、SF小説史の連載でもご紹介した通り、スペースオペラというSFジャンルが厳しい非難を浴びていた時代でもあります。そんな中でも、例外的に制作が続けられ、SFジャンルの人気を保ち続けていたある「シリーズもの」がありました。それが、宇宙冒険活劇「フラッシュ・ゴードン」です。
主人公フラッシュ・ゴードンが、地球を支配しようとする悪の皇帝ミン・ザ・マーキュラスに立ち向かうという設定の本シリーズは、1930年代から1940年代にかけて人気を博しました。毎週公開される連続ドラマという形式そのものが、後のテレビシリーズや映画フランチャイズにも影響を与えることになった点は見逃せません。
その顕著な例が、ジョージ・ルーカスの「スター・ウォーズ」です。ルーカスは幼い頃から「フラッシュ・ゴードン」の大ファンであり、本作をリメイクしようとしたところ権利関係で挫折し、その代替案として「スター・ウォーズ」制作に踏み切ったと言われています。そのため、レトロなSF美学が反映された世界観や基本的な物語構造、キャラクターなどにおいて、フラッシュ・ゴードンシリーズの多大な影響が見て取れます。
トーキー時代の宇宙映画③『ロケット発射X-M(1950年)』
50年代のSF映画と言って真っ先に思い当たるのは、ロバート・ハインラインも脚本作りに参加した『月世界征服』かと思いますが、ここではあえて同じ年に発表された『ロケット発射X-M』をご紹介したいと思います。本作はSF映画ファンの間でカルト的な人気を誇る作品として知られています。
なんと言っても、その低予算と制作期間の短さはレジェンド級です。予算は94,000ドル、制作期間はわずか18日。この制約の中で、科学的リアリズムとエンターテインメント性を融合させ、未来の宇宙探査の姿を描き切りました。特に、宇宙船内部の重力の影響や、宇宙空間での船外活動など、当時の科学的理解に基づいたリアルな描写が試みられています。
予算の制約の中でリアリティを演出する上で鍵を握ったのが、「音響効果」でした。特に、宇宙空間での無音の環境や、火星での異様な静けさが音響効果によって強調され、未知の宇宙空間の不気味さを効果的に伝えています。映画の中でのロケット打ち上げシーンの轟音とのコントラストが、トーキー映画ならではの「沈黙」の強調を生み出したと言えるでしょう。
この作風が、後の『禁断の惑星 (1956年)』や『地球の静止する日 (1951年)』といったSF映画にも影響を与えることになりました。『地球の静止する日』の背景音楽では、テルミンという電子楽器が効果的に使われていますが、実はそれを最初に使ったのは本作『ロケット発射X-M』だという点も見逃せません。
さて、ここまで宇宙を描いたSF映画における、サイレントからトーキーへの進化の歴史を簡単に振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか。宇宙映画のパイオニアたちの努力が、少しでも伝われば嬉しいです。
次回は、「宇宙開発競争」をテーマに、宇宙映画の歴史を辿っていきます。お楽しみに!