宇宙映画シリーズ2 宇宙開発競争とSF映画:冷戦はどのように宇宙映画に影響を与えたのか?
冷戦時代、1947年から1991年まで続いた米ソ間の緊張は、激しい技術競争を引き起こしました。中でも、1961年にソビエト連邦がユーリ・ガガーリンを世界初の宇宙飛行士として送り出し、対抗するアメリカが1969年にアポロ11号での月面着陸を成功させるなどといった「宇宙開発競争」の進展は、映画産業にも深く影響を及ぼしました。今回の記事では、冷戦期の宇宙戦争が宇宙SF映画に与えた影響を、「宇宙を目指した国威発揚」と「核戦争とエイリアンの恐怖」という2つの観点から読み解いていきます。
宇宙を目指した国威発揚
『月世界征服(1950年)』
1947年に「トルーマン・ドクトリン」が発表され、冷戦の火蓋が切って落とされましたが、宇宙映画の世界で「宇宙開発競争」の狼煙をあげた作品が、1950年公開の『月世界征服』です。
公開当時、ソ連はまだ宇宙開発においてアメリカをリードしていませんでしたが、かの有名なSF作家ロバート・A・ハインラインも脚本に関与した本作によって、「宇宙開発が国家の威信をかけた競争である」というコンセプトが国民に浸透していくことになりました。
中でも、「政府の支援が得られない中で、民間企業が資金を提供し、宇宙探査を成功させる」という設定はいかにもアメリカらしく、「民間人のパワーで宇宙開発世界一になってやろうじゃないか」という野心満々の作品になっています。アメリカ国民の宇宙熱をブチ上げた立役者とも言えるでしょう。
現代から見ても、科学的考証の行き届いた本格的な宇宙旅行を扱った最初の映画として評価される本作。特に映画の中で描かれるロケットの設計や打ち上げシーンはこだわり抜かれており、アカデミー賞で特殊効果賞を受賞しています。ちなみに本作に便乗する形でSF界隈では有名な映画『ロケット発射X-M』も同年に公開されるなど、宇宙映画は大変な盛り上がりを見せた年でした。
『宇宙船X-15号 (1961年)』
1960年代に入ると、いよいよ宇宙開発が本格化し、ガガーリンが世界初の有人宇宙飛行に成功するなど、ソ連がアメリカをリードする展開を見せるようになります。このタイミングで公開された映画が、『宇宙船X-15(1961年)』です。
本作は、NASAとアメリカ空軍が共同で実施した「X-15ロケット飛行機計画」を基に制作された映画で、現実の計画を忠実にスクリーン上で再現しています。この計画は、航空機が宇宙空間に近い高度まで到達することを目指した実験で、極超音速に加速する飛行機に乗るパイロットには単なる技術力だけでなく、命をかけた覚悟が求められました。
映画に登場する勇敢なテストパイロットたちの描写は、勇気と技術力の象徴としてアメリカ国民に強い影響を与えました。ソ連に先を越されて悔しいアメリカ国民を鼓舞する役割を担う映画だったとも言えるでしょう。
『ガガーリン(2013年)』
時代は下りますが、宇宙開発競争の歴史を語る上で欠かせない存在がガガーリン。通常はアメリカサイドの歴史しか語られませんが、ロシアの映画監督パーヴェル・パルホメンコによる本作を通して、ソ連から見た宇宙開発の歴史を垣間見ることができます。
映画のストーリーはガガーリンの少年時代から始まり、彼が宇宙飛行士として選ばれ、厳しい訓練を経て、ついに1961年4月12日にヴォストーク1号で宇宙へ飛び立つまでの過程を描いていますが、精密なセットデザインとCGIを用いて忠実に再現された、当時の宇宙飛行技術や訓練施設の映像は圧巻です。
内面描写においても、単なる「英雄ガガーリン像」にとどまらず、ソビエト連邦のプロパガンダの一環としての宇宙飛行士の役割と、パーツの一個としてしか扱われないことの悲哀なども描かれ、アメリカとの文化の違いを痛感させられる一作となっています。
核戦争とエイリアンの恐怖
『地球の静止する日 (1951年)』
冷戦が本格化していくにつれて、核戦争の恐怖も現実的なものとして人々に意識されるようになりました。そのセンチメントをいち早く投影した宇宙SF作品が、1951年公開の『地球の静止する日』です。
本作のストーリーは、異星人クラトゥが地球におりたち、「核兵器の使用をやめないと宇宙から制裁を受けるぞ」という人類への警告を発するというストレートな展開となっています。再び核戦争の脅威が高まってきているかに見える現代では、他人事ではないように思えます。
クラトゥは最終的に一時的に地球の自転を停止させることで人類に宇宙の力を示すのですが、脅しのやり方がハンパないですね。人類を絶滅させる力を持つロボットであるゴートに対してクラトゥが発する「クラトゥ バラダ ニクト」というフレーズ(緊急停止命令)は、SFマニアの間の呪文として今でも言い伝えられています。
『禁断の惑星 (1956年)』
冷戦初期の宇宙SFの金字塔を打ち立てたのは、1956年公開の『禁断の惑星』をおいて他にありません。製作費も当時としては異例の高額であり、カラーでシネマスコープ形式で撮影され、特撮技術や電子音楽もふんだんに使われました。
映画の舞台は23世紀の宇宙で、人類をはるかに超える技術力を持ったアルタイル星系の第4惑星「アルタイルIV」に到着したモービウス博士が、無意識の欲望を破壊的な形で現象化させてしまい、探査隊を恐怖に陥れるというストーリー構成になっています。
シェイクスピアの『テンペスト』を下敷きにした壮大なプロットを通して、「高度な技術が人間の無意識の欲望を具現化し、破滅を招く」というテーマを重厚に語りかける本作。背後にあるのは、高度な科学技術も、それを使う人間の倫理性と相まって進歩しないと破滅的な結果しか生まないという、冷戦時代の社会を見据えたメッセージでしょう。
本作に登場するドライなユーモアを併せ持つ人工知能内蔵ロボットの「ロビー・ザ・ロボット」というキャラクターは、ブリキのおもちゃが世界中で売れたこともあって、ロボット像のステレオタイプとして知られるようになりました。2014年に公開されたノーラン監督の『インターステラー』にも、ストーリー展開やキャラクター造形において多大な影響を与えたと言えるでしょう。
『ボディ・スナッチャー/恐怖の街 (1956年)』
宇宙映画と言っても、必ずしもわかりやすい形で宇宙人が出てこない映画もあります。その代表例が、1956年にドン・シーゲルが監督したSFホラーである『ボディ・スナッチャー/恐怖の街』です。
物語の舞台は、カリフォルニア州の架空の小さな町「サンタ・ミラ」で、町の住民が「ポッド・ピープル」(宇宙からやってきた植物生命体)によって置き換えられ、感情や個性を失った人間そっくりの存在に変わっていってしまいます。映画は主人公のマイルズが警告を発しようとするラストシーンで終わり、夢も希望もない結末になっています。
この恐ろしい「ポッド・ピープル」は何を象徴しているのでしょうか? 答えはもちろん、「共産主義者」です。1950年代は、アメリカが冷戦の最中にあり、国内では共産主義者のスパイやシンパが潜んでいるという恐怖が広がっていました。映画に登場するポッド・ピープルは、感情を持たず、全ての人が同じ考えを持つという意味で、共産主義体制の下での個性の消失や全体主義的な恐怖を象徴しています。アメリカ社会におけるマッカーシズムや、赤狩りといった集団ヒステリーを反映した作品であると言えるでしょう。このように、作中に登場する「エイリアン」は、自分が理解できない他者を象徴する存在として、当時の社会不安を映し出す鏡となるとも言えます。グローバル化と同質化が進む現代において、エイリアンの描写がどのように変わっていくか、というのも、探求すべきテーマの一つかもしれませんね。
さて、ここまで宇宙を描いたSF映画における、冷戦期の宇宙開発競争の影響を簡単に振り返ってきましたが、いかがでしたでしょうか。宇宙映画が、単なる視覚的なインパクトを超えて、社会全体のセンチメントを映し出した文化行為であることを発見できたのではないかと思います。
次回は、「スペースオペラ」をテーマに、宇宙映画の歴史を辿っていきます。お楽しみに!